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石山寺 (2)

硅灰岩の塊の上の多宝塔。石山寺のハイライト・スポットだが、この現存する最古の多宝塔の丸い上層と四角い下層のバランスは実に美しい。

石山寺

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平成23年度再生活用事業は2011年4月~2012年3月に桧皮葺屋根を葺き替える。

石山寺

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工事が完了して再び全容を現した多宝塔。

石山寺

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「奈良の八重桜」という遅咲きの品種がある事は、この桜を調べて知った。
聖武天皇が「若草山東方の佐保川水源付近には水音が鶯の声のように聞こえるといわれる(http://www.city.nara.lg.jp/www/contents/1150072164702/index.html)」鶯の滝あたりで見つけ宮中に持ち帰ったという伝承で、奈良市の市の花になっている。鶯は市の鳥。

石山寺

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東大門の側の案内板に「蓮如上人の母が石山観音の化身だといわれるので、その形見と傳える蓮如鹿の子の小袖を安置している」と書いてある。浄土真宗の僧の話としては奇妙な伝承だが、庶民的な発想なのだろう。
案内板に書いてあるように三十八社の拝殿として建てられたもの。

石山寺

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左は毘沙門堂、右は観音堂。

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御影堂。御影堂とは浄土宗や真宗みたいだが、ここには良弁、空海、淳祐の遺影を安置している。淳祐は菅原道真の孫と言われる人で、石山寺が真言宗になってから第三代の座主。「延喜21年(921)醍醐天皇の命により大師号と法衣を奉じた師の観賢に従って、高野山奥院の弘法大師の御廟に赴いた。その時、入定のままの大師の膝に触れたところその香気が手に移り、その手で書写したこの聖教類にも香気が残ったところから「薫聖教」と呼ばれ、石山寺でも座主以外は見ることが許されていなかった。(大津市歴史博物館 http://www.rekihaku.otsu.shiga.jp/bunka/data/bz_367.html)」という伝承のある国宝、淳祐内供筆聖教で有名な人物。

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宝篋印塔。


石山寺

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時計回りに宝篋印塔を回りなさいと、ちゃんと一、二、三、…八十六、八十七、八十八と最初と最後の三ツの数字だけ書いてある。


石山寺

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石山寺

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石山寺

本堂内は撮影禁止。
内陣と外陣は別の建物で、それらの屋根の上に直角に別の屋根が付いているという面白い構造。
本尊の如意輪観音は良弁の伝説のとおり、岩の上に置かれた半跏思惟像だという。つまり、その岩の周囲、上に内陣の建物が建っていることになる。普段観ているのは御前立。
紫式部の人形を置いた「源氏の間」があるが、ここで紫式部が源氏物語を書き始める時に参籠したというのが歴史的事実なのかは怪しい感じがする。「石山寺縁起絵巻」(紫式部についての部分は江戸時代に描かれた?)や室町時代に書かれた源氏物語の注釈書「河海抄」にそう書いてあるとの事。


石山寺

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三十八所権現社。石山寺の守護神。金峰山寺からの勧請か?

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経蔵。淳祐内供筆聖教や一切経を収蔵していた、近江で見るのは珍しい校倉造の建物。

石山寺

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経蔵の床下には「安産の腰掛石」。経本の間接的功徳か?


石山寺

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左:紫式部供養塔、珍しい形の宝篋印塔。
右:芭蕉の「あけぼのは まだむらさきに ほととぎす」句碑。


石山寺

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お風呂場です。


大黒堂。

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朗澄大徳ゆかりの庭園。なにやら恐ろしげな姿が刻まれているが、没後、石山寺経蔵の一切経、並びに聖教を守護し、万民の降魔招福の為、鬼の姿となることを誓い、承元三年五月十四日入寂されました。なのだそうだ。5月第三日曜日に青鬼祭が行われる。
しかし、案内板にはここにどういうゆかりがあって「ゆかりの」庭園なのかが書いていない。

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石山寺

石山寺駅から南の石山寺へ歩く途中にある石窟のお地蔵さん。朝、掃除している人を見かける。


石坂坂本線石山寺駅のすぐ南にあるお稲荷さん。修理御奉名が大津列車区乗務員一同となっているのが感動的。

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