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京都府庁旧本館

松室重光の設計で1904(明治37年)12月20日に竣工。
国の重要文化財。



ロの字型の建物に囲まれた中庭。大学の雰囲気を思い出させる。


食堂。知事室の西隣の部屋。

建物の南東角にある知事室。使わない時期には暖炉の前に衝立を置くというのは日本独自かな?


中庭にある五条大橋の橋脚。
森浩一著『京都の歴史を足元からさぐる[洛東の巻]』によると五条大橋の橋脚は橋の両端そばにも保存されているようだ。


二条城


徳川家の葵の御紋が天皇家の菊の御紋より上にあるのが徳川幕府の権勢を示しているとタクシーの運転手さんが修学旅行生に説明していたけど、そこまで意図しているのかな?

天守閣跡から比叡山を望む。



加茂七石畚下(ふぐろ)石、紫貴船石、紅加茂石、(賎機-しずはた)糸掛石、畑石(雲ヶ畑)、鞍馬石、八瀬真黒石と書いてあるが、さて「ふぐろ」とは?
畚は土砂を運ぶ「もっこ」のこと。「畚下し」で「ふごおろし」と読み新年最初の寅の日に鞍馬に参拝する習慣があったが、その時に参拝者に畚下石を畚下しで売ったようだ。畚下石は火打石の原石で鞍馬あたりで採れたらしい。崖の上から畚を降ろし、そこに代金を入れると引き上げ、かわりに畚下石を入れて下ろすという商売のやり方だったので「畚下し」とよばれたそうだ。
国際日本文化研究センターのデータベースを検索すると「データ番号 002_2」「作者名 江馬 務(えまつとむ)」に
七福神の福徳を受けむとて年の始の七福神詣もさるものながら、わけて霊験いやちこなる鞍馬(くらま)の初寅詣にても事は足りぬべし。鞍馬寺(くらまでら)は桓武天皇延暦年中(えんりゃくねんちゅう)藤伊勢人(とうのいせんど)おのが乗れる白馬に鞍を置きて放ちしに、馬駐りし叢の中より初寅の日毘沙門天の尊像を発見し、こを本尊として創建せし所と伝へられ、爾来寅の日をその縁日となしぬ。虎は千里を走るもの、商売また金銀を利するを走るといへば、殊に商人この縁由を喜び、正月初寅の日鞍馬寺に詣づ。此の日寺にては寅刻法華懺法護摩供を修し、参詣者には御剱福富牛王の宝印並びに小判を授与す。いにしへは村人毘沙門天の御使なりといふ蜈蚣大福帳・福等木にて作りし鎰、さては山上より畚下しにて下せし砥石などを売りしが、今はこの風全くすたれぬ。(略)という説明がある。
また、京都地名研究会編「京都の地名 検証―風土・歴史・文化をよむ」(勉誠出版)によると叡電貴船口駅から鞍馬方面へ行ったトンネルのある山で畚下しが行われていたらしい。


清流園
二条城内北側にある庭園だが、説明にあるように元々二条城とはなんの関係も無い。ここの石は「名石」というよりも「奇岩」が多くて面白い。



この石はなんとなく象を思わせる。


神泉苑

神泉苑は、空海が雨乞いの祈祷をして雨を降らせたとか、祇園祭の始まりの御霊会が行われたところとか、色々あった有名な場所。雨乞いでは小野小町や静御前も有名。


元々が庭園であったので宗教色はない場所のはずだが、現在は真言宗のお寺がある。これは例の空海の祈雨のご縁だろうか。

最近ここで一番有名なのがこの歳徳神(さいとくじん)。節分に恵方巻をどの方角を向いて食べるのかを決めている神様。歳徳神は中国の九星に絡んだ方位神。九星とは一白、二黒、三碧、四緑、五黄、六白、七赤、八白、九紫で、これらは占いで見かける。方角が良いとか悪いとか、悪い方向なので方違えするなどというのは、この方位神の内の凶神がどの方向にいるかに基づいている。




神泉苑東端線の標識。二条城の南側、押小路にある。
地下鉄東西線建設に伴う発掘調査で、平安京造営当時の神泉苑の東西幅が確認されました。当該地は. その東端線に当たります。





寺町三条上ル矢田寺は冬至の日(実際は23日だった)に
中風除けのかぼちゃ供養を行う。