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朽木(くつき)

朽木市場

朽木市場

丸八百貨店。
左下写真の説明には「丸八百貨店の創設者、大鉢氏は幼い頃から京都の下駄職人として修行を重ね、古里朽木に帰り、おいらん道中の下駄製造に専念する傍ら、花街芸者の(おこぼ)を手掛け、度々納入に行く問屋の勧めもあって、高島屋に納入することになり、一躍財をなし、この地に洋館風建物を建てることに成功した。一階は文房具、日用品、雑貨、二階は呉服反物を展示し、次第に新聞、教科書の販売にまで手広く営業していたが、戦前戦後の統制化に背くことができず閉店となる。しかし、村民の保存の熱意から、平成九年六月十二日登録有形文化財の指定を受ける。」と書いてある。


朽木市場

朽木市場


入口側は二階まで吹き抜けになっていてシーリングファンや照明もお洒落。

朽木市場

朽木市場


朽木市場

丸八百貨店の廂にはツバメの巣が。


かつて、この通りにはずらっと商店が並んでいたと丸八百貨店にいたおばさんが言っていた。
通りの突き当りには北川が流れ、その先は旧陣屋。

朽木市場

朽木市場


朽木市場

朽木市場


朽木市場

朽木市場


朽木市場

若狭と京を結ぶ鯖街道の一つが、北は小浜に通じるこの若狭街道。現在のほぼ国道367号線。確かに葛川、安曇川の谷に沿ってはいるが、峠も多くてかなり厳しい街道だ。


熊瀬家住宅。かつての豪商の家なのだろう。

朽木市場

朽木市場


市場集会所だったはずだが、
A Dormitory of Kitsuki Junior High Schoolと書いてある。

造り酒屋 熊瀬本家(狛屋)住宅跡


朽木市場

朽木市場


蛭子神様社。「蛭子命を祀る当社の創建年代は不明ですが、町の中心部に鎮座し、市庭の守り神として商工業者から『えべっさん』と呼ばれて崇敬されています。市場区」

朽木市場

朽木市場


山神橋側北の端から見た市場商店街。

昭和十三年(1938年)に建てられた伝ヴォリーズ設計の旧郵便局。
「伝」というのがちょっと可笑しい。

朽木市場

朽木市場


邇々杵(ににぎ)神社


市場から東に安曇川を渡った先の宮前坊にある神社。祭神は名前のとおりニニギ。

邇々杵神社

邇々杵神社


邇々杵神社は、柵で囲われた中に二つ社がある。向かって右の方が大きいので、こちらが本殿だろうか?

邇々杵神社

邇々杵神社


邇々杵神社

邇々杵神社


下左の写真は天台宗神宮寺と書いてある石碑。この一段高い所が邇々杵神社の神宮寺があったところだろう。
多宝塔を除いては下右写真の石段を上がった正面のお堂しかない。

邇々杵神社

邇々杵神社


明治初期の神仏分離令で神宮寺は廃寺になってしまったのだろうが、それにしてもよくぞ多宝塔は残ったものだ。
多宝塔自体は天保十三年(1842年)再建と書いてあるが、木造釈迦如来坐像は「藤原時代の作風を伝える鎌倉時代初期の仏像」。
つまり、慶派の力強さではなく、平安時代後期の穏やかな表情の仏像といったところか。
建物の状態は悪くないけれど、中の仏像はなんとか修復して欲しいものだ。

邇々杵神社

邇々杵神社


釈迦如来像。衣文の流れが自然で美しい。

釈迦如来像の頭上のこれらが薬師如来像か?

邇々杵神社

邇々杵神社


邇々杵神社

邇々杵神社


朽木資料館・朽木陣屋跡

江戸時代は陣屋だったが、「室町時代の朽木城もこの位置に重複していることがわかってきています。」(朽木資料館の学習シートNo.71より)

朽木資料館は史跡公園になっている広場の左手にある。二階の木地師に関する展示が興味深い。十六弁菊の朽木盆はかつてよく見かけた気がする。西の麻生木地山で作り、塗は岩瀬あたりの職人が行ったらしい。

朽木資料館・朽木陣屋

朽木資料館・朽木陣屋


朽木資料館・朽木陣屋

朽木資料館・朽木陣屋

 


朽木資料館・朽木陣屋

陣屋跡に建っている家は、陣屋とは無関係の民家。
江戸末期の建築と言っても、流しや風呂場は新しく、比較的最近まで実際に人が住んでいて、そこに戸外に置いてあった物も入れてしまって展示している気配が濃厚。


朽木資料館・朽木陣屋

朽木資料館・朽木陣屋


朽木資料館・朽木陣屋

朽木資料館・朽木陣屋


朽木資料館・朽木陣屋

朽木資料館・朽木陣屋

朽木資料館・朽木陣屋


ナショナル(パナソニック)のステレオが、場違いな感じで置いてあるが、意外とこれが昭和30年代の実情だったのかもしれない。

朽木資料館・朽木陣屋

朽木資料館・朽木陣屋


山神社

山神社

山神社