劍 神社
祭神が伊邪那岐命と伊邪那美命、
越前二の宮の劔神社との関係はわからない。
11月に
絵馬のトビウオ(アゴ)がユニークだが、由来はわからない。
新熊野 神社
熊野信仰に篤かった後白河法皇が勧請した神社。現在は東海道線が遮ってしまっているのでなんとなく別々の地域のイメージがあるが、三十三間堂の東に法住寺と後白河天皇法住寺陵がある。法住寺は後白河法皇が住んでいたところで、当時は西は鞘町通りあたりから東は新日吉神宮、北は正面通りあたり、南は泉涌寺道あたりまでが寺域だったようだ。従って、新熊野神は法住寺の寺域中で、鎮守社だった。
この神社でもう一つ有名な出来事は、1374年頃、ここで催された今熊野勧進猿楽で観阿弥、世阿弥が足利義満の前で猿楽を演じた事で、それにより義満の後援を受け能として形作られてれてゆく。それを記した石碑がある。
清閑寺
小ざっぱりとした小さな寺だが、そこそこの下知識があれば感慨も深いかも。
- 「ここから清水寺までの山路はかつては歌の中山と呼ばれる名所」だそうだが、すぐ南を自動車専用道路化されてた国道一号線が通っているので、そういう風雅な趣は薄い。
- 高倉天皇の寵愛を受けた
小督局 がここで出家した(平家物語に出てくる話)ということで、北側にその高倉天皇陵がある。 - 8世紀に行基により?窯が造られた京都の陶器製作の始まりの地でもある。庫裏の縁側で焼き物を展示、販売している。
- ここから市外を見ると扇を広げたように見え、扇の要の位置にあたるのが要石。。
- 西郷隆盛と清水寺住職月照上人が王政復古の謀議をした茶室郭公亭があった。月照は安政の大獄を逃れ西郷隆盛と薩摩へ行ったが錦江湾で入水自殺した。このあたりは郭公の名所でもあった。
清閑寺から清水寺へ「歌の中山」と呼ばれた道を歩くと、途中に人家がある。長屋の南端の一軒は、米粉のどら焼きで知られた?こめこきっちん「ソラどら」。
週休三日制なので注意。京都府京都市東山区清閑寺山ノ内町28-3