音羽山清水寺(2)
本堂
本尊は「清水型」と言われ、左右一臂を頭上に挙げて掌の上に小さな釈迦如来坐像(化仏)を「捧戴」している特異な姿の十一面千手観音立像。檜の寄木造。
塩断ち阿弥陀如来
即身成仏するのでなければ極端な塩断ちは命に係わります。
高血圧でも減塩程度が宜しいかと。
出世大黒天
京都伝統工芸大学校が修復した。
鴨川の中の島にあった大黒堂(法城寺)に祀られていたのだとか。
絵馬の優品は宝蔵殿に移されているが、残されたものも美術的価値は別にして、けっこう面白い。
能でも「菊慈童」などに出てくる『観音経』(妙法蓮華経 観世音菩薩普門品 第二十五)の一節。
観世音浄聖
於苦悩死厄
能為作依怙
具一切功徳
慈眼視衆生
福聚海無量
是故応頂礼
本堂は桁行九間、梁間七間。檜皮葺一重の寄棟造。南側以外の三方に裳階がある。
子安塔を本堂の「清水の舞台」から望む。
地主神社(地主権現)
地主神社は、明治初めの神仏判然令で清水寺から分離されてしまったが、清水寺の鎮守だった。名前から土地の産土神だったと想像されるが、「奈良時代以前の創建」とする根拠が、産土神だから清水寺創建以前からあったはずだという事だけで、史料や遺跡では裏付けされていない感じがする。
左下の写真の説明版に書いてあるように「地主権現の桜」は昔から有名だったらしい。ただ、現在の地主神社に桜の木が多くあったとは敷地面積から考えにくい。周辺の山の桜の木を含めての表現だろう。
「田村」
サシ"それ花の名所多しといへども。大悲の光色添ふ故か。この寺の地主の桜にしくはなし。
「熊野」
クセ"清水寺の鐘の声。祇園精舎をあらはし。諸行無常の声やらん。地主権現の花の色。娑羅双樹のことわりなり。生者必滅の世のならひ。
「西行桜」
地"鷲の御山の花の色。枯れにし。鶴の林まで思ひ知られてあはれなり。清水寺の地主の花松吹く風の音羽山。
「放下僧」
"筆に書くとも及ばじ。東には祇園清水落ちくる瀧の。音羽の嵐に。地主の桜は散り%\。
能「田村」の"地「思ひ給はゞわが行く方を見よやとて。地主権現の御前より。下るかと見えしが。くだりはせで坂の上の田村堂の軒もるや。月のむら戸を押しあけて。内に入らせ給ひけり内陣に入らせ給ひけり。"という詞章からは、この総門を出て石段を下って本堂の裏に下り、田村堂へ入ったとイメージすべきなのだろう。
南無阿弥陀仏の碑には「瀧山寺」の文字が。
地主神社の東側の道を上がると東山山頂公園へのハイキングコースに出るが、ゲートは閉ざされている。成就院の前の池へ流れ込んでいるらしい川を渡る石橋の手前に、幾つかの石仏が並んでいる。
この石碑だけは向かい側に立っている。
欅の柱をやはり欅の横板を貫で通し楔で締める構造。
地蔵堂
釈迦堂
阿弥陀堂は工事中
奥の院も工事中
南のゲートを出ると、「歌の中山」清閑寺へ行ける。