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大雄山最乗寺 (1)

2012年4月

大雄山最乗寺仁王門

仁王門をバスから。
大雄山駅から歩いても3kmくらいで杉並木の参道がずっと続いているならば歩くべきだが、バスが通る道をかなり歩く必要があり今回はバス利用。


23丁目バス停付近

公衆電話ボックスにも「天狗っ葉」が付いている。

大雄山最乗寺23丁目バス停付近

公衆電話ボックス


大雄山最乗寺23丁目バス停付近

安気地蔵堂

安気地蔵堂


安気地蔵堂

安気地蔵堂
昔はもっと麓近くの10丁目にあったらしいが、いつの間にか現在地へ移転。


二十三丁目の丁石。

大雄川を渡る開運橋
江戸時代には円通橋で、移転前の道了宮への参道になっていた。


二十三丁目の丁石

開運橋<


和合の杉

和合の杉
昔は松も多かったようだが、松くい虫(マツノザイセンチュウ)の被害でマツ枯れが進み、現在はほぼ杉ばかりになってしまっている。
「袈裟掛けの松」が枯れたのは松くい虫のせいではないようだが。


大雄山最乗寺杉林

大雄山最乗寺杉林


三門から碧落門へ

大雄山最乗寺

大雄山最乗寺


大雄山最乗寺三門

大雄山最乗寺三門


大雄山最乗寺三門

三門
2003年に落慶。2010年の御開山了庵慧明禅師六百回大遠忌に向けて建てられた。
楼上には放光菩薩として(僧形の?-未確認)地蔵菩薩と観音菩薩の二菩薩、十六羅漢像と四天王像を配しているそうで、これは能登から引っ越した鶴見の總持寺と同様。


座禅石

座禅石


座禅石

座禅石
「袈裟掛けの松」からはかなり離れているので、"袈裟は梢から離れて禅師の肩にかかった"場所とは考えにくいが、下の平らな「蒲団石」に開山了庵慧明が座って座禅したというのはありそうな話。
上にどういう事情か聖観音像が祀られている。
了庵慧明(1337年~1411年)は、相模国大住郡糟谷荘(現在の神奈川県伊勢原市)の出身で。不聞契聞に学び、後に丹波国永沢寺の通幻寂霊の弟子となった。通幻を嗣ぎ、総持寺にも輪住した。その後、相模国に帰り曽我の里に竺圡庵ちくどあんを結んだが、ある日、大鷲が禅師の袈裟をつかんで足柄の山中に飛び松の枝に掛けた。これが袈裟掛けの松で、ここに寺を開けという意味に解釈し、応永元年(1394)年に大雄山最乗寺を開いた。


大雄山最乗寺

大雄山最乗寺


碧落門。入ると正面は本堂。

瑠璃門。入ると正面は書院。


大雄山最乗寺碧落門

大雄山最乗寺瑠璃門


巨大下駄の第一弾。
御真殿の左手に多数ある。

碧落門の向かいの明神橋を渡ると明神ヶ岳への登山道になる。
しばらく登ると道了宮跡の石碑がある。


巨大な下駄

大雄山最乗寺


本堂、書院

碧落門を入る。

碧落門、瑠璃門、総受付がある白雲閣、衆寮、僧堂に続く回廊が禅寺らしい景観を作っている。


大雄山最乗寺碧落門

回廊


本堂と右の書院、その他の建物と回廊で囲われて広場のようになっている。

大雄山最乗寺本堂と書院

大雄山最乗寺本堂と書院

大雄山最乗寺本堂と書院


僧堂。修行僧が座禅を組む場所。1954年(昭和29年)落成。

本堂から見た鐘鼓楼と僧堂。右に金剛水堂が見える。


僧堂

本堂から鐘鼓楼と僧堂


本堂(護国堂)。本尊は釈迦三尊像。伊東忠太設計で1954年(昭和29年)落成。

大雄山最乗寺本堂(護国堂)

大雄山最乗寺本堂(護国堂)


大雄山最乗寺本堂(護国堂)

大雄山最乗寺本堂(護国堂)


右上写真の天蓋と欄間の彫刻を除くと、内部は禅寺らしく、これが「本堂ですか?」という素っ気なさ。欄間の彫刻は伊東忠太好みでさすが。下がっている照明器具も本堂としては違和感があるが、味のあるデザイン。

大雄山最乗寺本堂(護国堂)

大雄山最乗寺本堂(護国堂)


大雄山最乗寺本堂(護国堂)

大雄山最乗寺本堂(護国堂)

大雄山最乗寺本堂(護国堂)

大雄山最乗寺本堂(護国堂)


開山堂

開山堂(金剛壽院)。ここの建物はやたらと別名が付いている。本堂と同様に天蓋を除けばあっさりした堂内。

大雄山最乗寺開山堂

大雄山最乗寺開山堂


ここまでは禅寺の景色だが、これから先、この寺を有名にしている道了尊が主役の世界に入ってゆく。