京都御所
京都御所は何度も火災に遭い、江戸時代末以降に再建された建物ばかりだが、日本の支配階級の建築の変遷を南から、
【平安時代の寝殿造】
紫宸殿・清涼殿
↓
【鎌倉時代の書院造の萌芽が見える寝殿造】
小御殿
↓
【室町時代末の書院造】
御学問所
↓
【江戸時代の書院造の御殿】
御常御殿
と年代別に順々に辿れるという珍しい場所になっている。
平安京の条坊制の名残を示す長方形の敷地の周囲は築地塀で囲んである。
普段は京都御苑の中で閉ざされた部分だが、以下は秋の一般公開での写真。
建礼門
南正面の門を内側から見る。京都御苑の中で京都御所の位置は西北に偏っていて、この門の真南に丸太町通への門はない。
南庭の白砂は見学者用に南側に寄せられてしまっているが、本来は紫宸殿の前まで敷き詰められている。
紫宸殿
高床式九間四間の檜皮葺入母屋造りで床は板敷き。内部に仕切りが殆ど無い寝殿造り。外との仕切りは
裏松光世という宝暦事件に絡んで出家させられた公家が書いた『大内裏図考証』を基に平安時代の復古様式になっている。かなり存在感がある建物だ。
清涼殿
紫宸殿の北西に東向きに建っている建物で、この位置は平安宮の時代と同じ。日常の御殿だったが手狭になったためか、儀式用になった。
東庭と、左に
中央は「
年中行事障子。
やたらと行事が多いが、これでも見えているのは正月から6月までの半年分だけ。
小御所
鎌倉時代に現われ、この位置には室町時代に落ち着いた。現在の建物は昭和三十三年(1958年)に再建されたもの。各種催しが行こなわれた。
室内と縁との区切りに引き戸が使われていて寝殿造りからの変化が見られる。
蹴鞠の庭
御学問所
徳川家康が行った造営の時に新たに設けられた。購書始や歌合、公家との対面などに使われた。
上段の間に書院形式となる棚などの座敷飾りが見られる。
御池庭
小堀遠州の作庭というが、その後改変が加えられている。
手前の州浜など、寝殿造りの南庭にある池のイメージが残っているのか。
御常御殿
ここは日常の御殿。二条城二の丸御殿の大広間の様な表向きの部屋はない。
南側は寝殿造りの様式が残っている。
御内庭
なんか木々が密集している感じで、それに茶室が加わって、落ち着いた景色になっている。
迎春 と龍泉門
迎春は孝明天皇の書見の間として建てられた。龍泉門の奥に御涼所がある。
室内や縁は寝殿造り、書院造りと多彩だが、
鬼瓦(鬼板)などはどれも同じで江戸時代風という感じがする。
さほど高い建物が無いからかもしれないが、見たところ避雷針はこれだけだった。