大箕山 菅山寺
"かんざんじ"と聞くと、まず「寒山寺」、特に「
坂口
北国街道
「大箕山」と書かれた扁額が掛かっているこの鳥居は、近江天満宮の鳥居なのだろう。
菅山寺は無住寺なので、仏像などは里坊となるこの弘善館(と積善館)に安置されている。
大門古墳
横穴式石室の恐らく円墳。土地の有力者の墓といったところか。
この辺りに他にも未発見の古墳があるかもしれないとか。
北陸自動車道をくぐって左の登山道に入る。
石仏が町石のように祀られているが、首が無いものが半分以上。悪質ないたずらだろうか?。
大箕山、呉枯ノ峰・田上山との分岐となる峠。
ここまで登ってきて菅山寺へは下りというのが悲しい。
歴代住職の墓
室町時代に書かれた『興福寺官務牒疏』(偽書説もある)では、元は孝謙天皇の勅命を受け照檀上人が天平宝字八年(764)に建立した大箕山寺(龍頭山大箕寺とも)で、寛平元年(889)に菅原道真が中興したという。菅原道真が登場するのは余呉湖の伝承と絡んでいて史的事実かは疑わしいが、鎌倉時代の特に
山門が見えてきた。
山門から入らず直進すると、建物の跡。
護摩堂
宝蔵庫
山門の両側には菅公お手植えという伝承の欅の大木。内側から見て右側は勢いがなくなっていて心配だ。
建治三年(1277)の銘がある重文の梵鐘
本堂
本尊の不動明王坐像は高さ58.2cmと、それほど大きくはない。
平安中期の作。
如法経堂
この寺の歴史で欠かせないのが弘長二年(1262)に宋に渡った専暁が建治元年(1275)に宋から持ち帰った宋版一切経七千巻。
ここにそれらを収めた八角形の輪蔵が残っている。
慶長十八年(1613)、徳川家康の要望で、これらは東京、芝の増上寺に寄進された。菅山寺は替わりに寺領五十石と山林を得た。寺が経済的に困窮しているのにつけこんだ感じがする。
朱雀池
五所権現
弘善館の案内図や明治時代の古図の池は、この五所権現のあたりでくびれがある瓢箪形に描いてある。
くびれ部分の道に橋はあるが、瓢箪の上部となる五所権現背後の池は単なる湿地帯になりつつあるようだ。