御園
妙法寺町(続き)
この集落の中央を縦断し愛知川近くまで伸びる直線道路はとても興味深い。明治二六年(1893)大日本帝國陸地測量部作成の2万正式図角井村(s1068)を見ても、ほぼまっすぐな道が見て取れるので圃場整備の結果として出来た道ではなさそうだ。
滋賀県東近江市五智町
五智町は近世には上村だった。居住地域が中小路町と連続しており、そこを東西に通り抜ける道の東端の道切りが上の写真の道切りで、中小路居住地域の西端にも道切りがある。
町名の由来は地元興福寺の五智如来像に依るのは明らか。大日如来を中心に阿閦如来、宝生如来、阿弥陀如来、釈迦如来と並ぶ様は壮観。ほかに聖観音や宝篋印塔と歴史を感じさせる優品が多いのだが、観光寺院には程ほど遠い。
この辺りは柿御園という当初は大安寺領の荘園だったので、その関係で建立された寺ではないだろうか。荘園は近衛家領から永源寺領へと変わり、現在は臨済宗永源寺派の寺になっている。平安時代の穏やかな表情の胎蔵界大日如来像は国の重文(指定番号:00702)。
滋賀県東近江市林田町
林田町の山神
飯開(イビラギ)神社
主祭神は豊受大神。伊勢外宮の祭神で食物のカミ。
滋賀県神社庁のWebサイトによると、〔配祀神〕天照大神 譽田別尊 大山咋神 坂上田村磨呂
で、明治四十一年に町内に散在していた神明宮、八幡神社、山王神社、田村社を合祀した。
とある。神明宮は天照大神、八幡神社は譽田別尊、田村社は坂上田村磨呂となる。境内社は金峰神社と稲荷神社となっている。稲荷社はわかるけれど、他の二つの社の祭神は外観からはわからない。
田村若宮社
集落内
ここらが村の中心だったと思われる。中央の消防器具格納庫は太鼓楼ではないだろうか。右には臨済宗永源寺派の香林禅寺。本尊は十一面観音とのことで、かつては天台寺院だったか。左には林田会館。町の会所。
河岸段丘
用水路(狛井)
上村山ノ神
名神高速道路をくぐってしまうと林田町から出た感じがするが、ここまではまだ林田町の町域。
『八日市市史 資料集 Ⅱ八日市市の地名と景観』林田のページ*2にある、明治九年 題欠「近江国神崎郡林田村地引全図」に、⑰上村山ノ神の記載がある。上村は五智町の旧名だから、五智町の山ノ神なのだろう。なぜ、ここに祀られているのかは解釈困難だけど。
滋賀県東近江市岡田町
岡田町の山ノ神と野神
山の神の祭場は、八風街道に近いノエビア工場の隣接地にある。太い注連縄を皆で担いで行き、枯死した杉の大木から少し離れた木へ注連縄を渡す。離れた木の近くには野神神社と彫った石碑がある。これに藁ツトを付けた椿の枝と葉のない別の枝を重ねて掛ける。野神の石碑には細い注連縄を巻く。杉の大木の根元と野神碑の前へは、折敷に裏白を敷いて小鏡餅一重ねの上に蜜柑を重ね、干柿を添え、藁ツトは中の洗米が見えるように少し開けて供える。
*1
「枯死した杉の大木」はもう見当たらない。
- *01 『滋賀県の自然神信仰 滋賀県自然神信仰調査報告書(平成一四年度~平成一九年度)』滋賀県文化財保護課編 滋賀県教育委員会 2007 29頁
- *02 『八日市市史 資料集 Ⅱ八日市市の地名と景観』八日市史編さん室編 八日市市教育委員会発行 1986 12頁