今西家書院
2014年3月21日『四季の光 ~櫻の音なひ~』
今西家書院は興福寺大乗院家の坊官だった福智院氏の住宅を大正時代に「春鹿」の蔵元今西家が買い取った。
室町時代の書院造りで重文。橿原市の今西家住宅とは別です。
書院にはとにかく
一つの幅広い敷居に二枚の障子がはまっている子持ち障子。
壁には和紙を重ねて貼っている。
書院の上段の間。
唐破風部分はお興寄せ。位の高い人は、ここに輿を着け出入りした。他は
唐破風の下だけ両開きの双折板扉。
蔀戸の下半分は取り外す。
網代編みの間
杉の削ぎ板(
この部屋には囲炉裏があって、その煙で燻されてこの色になっている。竹は縦に切り開いている。
茶室の天井は細かい網代編みで中央に龍が描いてある。
清冷山福智院
奈良市福智院の福智院。真言律宗の寺。
江戸時代中期に村井古道(無名園古道)が書いた『奈良坊目拙解』によると「天平八年に玄昉が地蔵菩薩を安置する清水寺を開いたが、この寺は中世に廃壊し、建長六年に(興福寺)大乗院の僧正が福智院地蔵堂を造立し清水寺の再興とした」といった記述がある。
本尊の国の重文地蔵菩薩坐像は胎内の墨書から建仁三年(1203年)発願、建長六年(1254年)開眼。台座を含めると7m近い大きさをまじかに見る存在感は圧倒的。地蔵は菩薩だが、ここでは台座が宣字座、光背に化仏が付いているという如来の特徴を備えている。これは地蔵は釈迦入滅後56億7000万年後に現われる弥勒の現世での姿と解釈し未来を先取りした姿でよしという事のようだ。
本堂は建長六年(1254年)建立で