大野寺
楊柳山大野寺は真言宗室生寺派の寺。
創建は伝承では役小角で空海が一宇を建立した事になっている。
下に写真がある弥勒磨崖仏立像が有名だが、放火の嫌疑で火あぶりの刑に処されそうになっていた娘を助けたという「身代わり焼け地蔵」と呼ばれる鎌倉時代の作とされる木造地蔵菩薩立像も国の重文。
枝垂桜で有名なのですが、訪れたのは夏。
小糸枝垂桜
弥勒磨崖仏
左下、右下、同文です。
弥勒磨崖仏は大野寺と宇陀川を挟んだ対岸にある像高11.5mの線刻の弥勒仏立像。興福寺の雅縁の発願で承元元年(1207年)から制作が開始され、承元三年に後鳥羽上皇が御幸され願文を石像体内に納めて開眼供養が行われた。石工は宋人だろうと言われ、重源が東大寺再興にあたって、宋から招聘した石工の伊行末の作ではないかという説がある。笠置山の弥勒石仏を模したとされる。
種子曼荼羅(種子で表した尊勝曼荼羅)
室生寺
天然の杉玉
仁王門
なぜか「鎧坂」という名の石段。
金堂
弥勒堂
軍荼利明王の石仏
龍穴神社を遥拝していたと考えられるが祠もある。
灌頂堂
北畠親房の墓という伝承があるバランスの良い五輪塔
左側は桂昌院の五輪塔
五重塔
平成十年(1998年)9月の台風7号の強風で斜め後ろの木が倒れ、五重塔が損壊した。二年後に見事に修復された。その修復時に年輪年代法で測定した結果、建材は794年頃に伐採されたものとわかった。伐採後は乾燥期間が必要だったりするので、塔の完成時期は800年頃とされる。
現存する五重塔では日本最小というが、周囲の景観のためなのか、かなり高い塔に見える。高さ16.1m。
織田信長の次男、織田信雄の遺骨を分骨した織田廟
室生寺創建を実質的に采配した修円僧正の廟
懸造りの位牌堂は昭和十年の築という事で、御影堂に比べると有難味がまだ不足か。
七重石塔。火山の噴火でできた岩山の頂上に立てられている。
御影堂。屋根の上の石造の露盤が珍しい。
室生龍穴神社
室生寺は、桓武天皇が皇太子だった時に病気平癒のために興福寺の大僧都賢璟ら浄行5人が室生山中で「延寿法」を修し回復したことから創建された。「延寿法」を修した場所はこの神社の背後の山中にある吉祥龍穴だったのではないかとも言われる。
主祭神は
善如竜王社の額。真言密教の色が濃い善如竜王を神道の立場から高龗神としたのではないだろうか。
空海が京都の神泉苑で祈雨の修法を行った時に現れて雨を降らしたのが、この善如竜王。善女竜王と書く事が多いが、室生寺の秘宝展で見た絵では男に描かれていた。
連理木だが、つなぎ目の下がトンネル状で向こうが覗けるというのが楽しい。
而二不二の神木
「二であって、二でない」と禅問答のような仏教的表現。