豊山長谷寺
十一面観音の石仏
不動堂にある石仏
長谷寺を創建したという道明上人の御廟塔
仁王門の右下にある馬頭観音の石碑
仁王門
登廊
二本の杉。根の部分でつながった連理木。
前シテ(里女)詞「これこそ二本の杉にて候へよくよく御覧候へ。
ワキ(旅僧)詞「さては二本の杉にて候ひけるぞや。二本の杉の立所を尋ねずは。古川の辺に君を見ましやとは。何とよまれたる古歌にて候ふぞ。
前シテ詞「是は光る源氏のいにしへ。玉葛の内侍この初瀬に詣で給ひしを。右近とかや見奉りてよみし歌なり。共にあはれと思しめして御あとをよく弔ひ給ひ候へ。(http://www.kanazawa-bidai.ac.jp/~hangyo/utahi/text/yo111.txt)
定家塚(五輪塔)と俊成碑
登廊は上・中・下とクランクになっているが、これは中廊
中廊と上廊の曲がり角にある蔵王堂。
同じく中廊と上廊の曲がり角にある紀貫之 故里の梅。
もっとも、「人はいさ 心も知らず 故里は 花ぞ昔の 香ににほひける」は、門前町の宿の女主人とのやりとりで作られた事になっている。
三部権現社
三社権現
上廊を登り切ったところが鐘楼。「相の間」へは左折。
鐘楼の正面の愛染堂。
右に行くと日限地蔵尊
懸造りの礼堂。広大な舞台というか板の間。
礼堂と正堂の間には「相の間」という土間があり、そこを通って本尊十一面観音立像に参拝する。
本尊に向かって左の雨宝童子。額には天照皇大神
この間に、本尊の十一面観音立像
本尊の右には、難陀龍王。額には春日大明神。
銭額
礼堂には、百人一首や三十六歌仙
本堂(正堂)
慶安三年(1650年)に完成した、桁行(両側の裳階も含め)九間、梁間五間の瓦葺入母屋造
国宝
弘法大師の御影堂
一切経堂は工事中
本長谷寺
国宝の銅版法華説相図(千佛多賓佛塔)には「歳次降婁漆菟上旬、道明率引捌拾許人、奉為飛鳥清御原大宮治天下天皇敬造。」と銘文にあり、道明上人が造ったのは確かそうである。「飛鳥清御原大宮治天下天皇」は天武天皇か持統天皇を示す。ただ、制作年代や、最初からこの地にあったのかなどは、はっきりしていない。
五重塔
三重塔跡。祝融の災とは火災のこと。
専誉僧正は秀吉の根来攻めにより高野山、醍醐寺、和泉国分寺に移った後、豊臣秀長の求めで長谷寺に入り真言宗豊山派を興した。