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長谷山口坐はせ やまぐち います神社

長谷山口坐神社

長谷山口坐神社


参急橋からの初瀬川。昭和四年、参宮急行の開通時に造られた橋。
向こうの朱塗りの橋が長谷山口坐神社への橋。

左下写真の朱塗りの橋から見た初瀬川上流方向。


長谷山口坐神社

長谷山口坐神社


 

拝殿


長谷山口坐神社

長谷山口坐神社


本殿

長谷山口坐神社

長谷山口坐神社


長谷山口坐神社

「元伊勢 磯城伊豆加志厳橿(厳橿)本宮伝承地域」の石碑。
『倭姫命世記』の「四十三年[丙寅]、倭国伊豆加志本宮(厳橿之本宮)に遷り、八年間奉斎」(神話の森:http://nire.main.jp/rouman/sinwa/yamatohime.htm)かもしれないが、與喜天満神社に比定する説もある。
倭姫命やまとひめのみことは第十一代垂仁天皇の皇女で、天照大神の御杖代みつえしろとして「而詣莵田筱幡。更還之入近江國。東廻美濃、到伊勢國。」と近江、美濃を巡り伊勢に来た時、天照大神が「欲居是國」と神託したので皇大神宮(現在の伊勢神宮内宮)に祀ったとされている。
これでは初瀬の出番はないが、「一云」として、「天皇以倭姫命為御杖。貢奉於天照大神。是以倭姫命以天照大神。鎮坐於磯城厳橿之本而祠之。然後随神誨。取丁巳年(垂仁二六年丁巳前四)冬十月甲子。遷于伊勢國渡遇宮。(後略)」というのがあって、ここに「鎮坐於磯城厳橿之本而祠之」が出てくる。(以上、『日本書紀』より)


與喜天満神社

初瀬街道の突き当りに参道がある。左に曲がると長谷寺へ。

與喜天満神社

與喜天満神社


長谷寺から連歌橋を渡り、裏参道から與喜天満神社へ向かう。

與喜天満神社

與喜天満神社


裏参道の途中を左に入ったところにある素戔嗚神社

素戔嗚神社

素戔嗚神社


御多分に漏れず牛頭天王社だった気配がある。右に藤原家隆供養の十三重石塔

素戔嗚神社

素戔嗚神社


玉鬘庵跡。本居宣長は、玉鬘はフィクションだろうとケチをつけていますが…

玉鬘庵跡

玉鬘庵跡


與喜天満神社


連歌会所の菅明院跡。連歌が天神とどういう経緯で結びついたのか知らないが、奈艮国立博物館に寄託されている奈良県宇陀市室生染田にある染田天神社の染田天神連歌文書に出てくる天神千句会が有名。この連歌は西鶴や芭蕉の俳諧連歌ではなく

與喜天満神社

與喜天満神社


鍋倉神社の石燈籠

與喜天満神社

與喜天満神社


男女(夫婦)岩

與喜天満神社

與喜天満神社


鵝は鵞で鳥のガチョウの事だが、どういう謂れやら。ましてはアマテラスとどう結びついたのか?面白い石だ。

與喜天満神社

與喜天満神社


掌石と沓形石

與喜天満神社

與喜天満神社


與喜天満神社

與喜天満神社


與喜天満神社には正元元年(1259年)の墨書銘がある制作年代が明らかな天神像としては最古の難しい顔をして怨霊のイメージが強い天神坐像がある。

與喜天満神社

與喜天満神社


摂社:向かって左側は櫻葉社白太夫社、右側には瀧蔵権現社の速玉命・伊弉諾尊・伊弉冉尊。

與喜天満神社

與喜天満神社


八王子社

與喜天満神社

與喜天満神社


 

與喜寺跡


與喜天満神社

與喜天満神社


お稲荷さんの祠


與喜天満神社

與喜天満神社


社務所


與喜天満神社

與喜天満神社


白髭神社

與喜天満神社

與喜天満神社


與喜天満神社

白髭神社なので祭神はサルタヒコだが、アメノウズメも祀っている。アメノウズメは、ニニギの天孫降臨の時に、迎えに来たサルタヒコの名を尋ねたので、以降、サルタヒコに仕えたとされる。
寺垣外、上之森、下之森、与喜浦の四区域の氏神だと書いてある。