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宮町遺跡・新宮神社遺跡

紫香楽

宮町では朝堂があった紫香楽宮の中心区画が発掘された。
現地に行ってみても田園地帯で遺跡は田圃の下。
朝堂区画は北西と北東からの川の合流点の北側にある。京都ならば鴨川三角州の北の下賀茂神社というイメージが浮かぶ。


紫香楽宮跡の発掘調査の経緯などは、
国史跡紫香楽宮跡 公式WEBサイト
に詳しい。


紫香楽

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紫香楽

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新宮神社遺跡は宮町とは高架の新名神が横切る山間で区切られた南側にある。朱雀路と思われる道路の遺構などが発掘された。

紫香楽

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国史跡紫香楽宮跡

大正十五年(1926年)に、ここは「国史跡紫香楽宮跡」に指定された。礎石の配置が寺院風だという事は戦前から指摘されていたが、1980年代以降の発掘調査結果により宮町遺跡が紫香楽宮跡で、ここは寺院跡と考えられるようになった。
下の金堂跡のほか、僧坊跡・経堂跡・鐘楼跡・塔院跡などの礎石が点在する。

紫香楽

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紫香楽

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甲賀寺金堂跡

紫香楽

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紫香楽

甲賀寺は紫香楽宮からまっすぐ南に延びる朱雀大路の延長にある。聖武天皇は最初はここに大仏を建立しようとしたが、山火事(不審火?)や地震が発生したため平城宮へ戻り、大仏は東大寺で完成する。その後の甲賀寺は国分寺として存続したようだが、8世紀末頃に火災があり、そのまま廃寺になったらしい。


紫香楽

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紫香楽

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