最勝院
東福寺住持や南禅寺住持となった虎関師錬が書いた『文応皇帝外紀』という南禅寺の縁起を書いた文書に、亀山上皇が住んだ離宮・禅林寺殿に怪異現象が頻発したが、東福寺から無関普門を招いたら収まったという話が載っている。この話と、上の「當寺の由来」にある「文永三年三月三日ついに秘密の法力により白馬にまたがり生身を天空にかくされた」という最勝院を開いた道智が結びついて、「南禅寺の基を開かれると、僧正は護法神としてまつられました。」という事になったようだ。道智は東福寺を建てた九条道家の子で三井寺長吏、禅林寺住持にもなった人物で、晩年は南禅寺本坊あたりにあった最勝院に隠棲した。道智が怪異現象→怨霊と結びついたのは、梅原猛『京都発見2 路地遊行』(新潮社 1998)では、関白・摂政などを歴任したのち失脚した父の九条道家の為ではないかと推察している。九条道家本人の怨霊ではなく、この地に隠棲していた道智に結びつけたという解釈だが、「土地の鎮守として篤くまつられ」、「護法神としてまつられ」たのは、単に道智が亀山上皇の父の後嵯峨天皇の護持僧で、この地の先住者だったからかもしれない。
縁結びの松
「駒大僧正」と書いた扁額
本堂正面、扁額の左右に般若心経が掲げられている。
駒ヶ瀧へ
奥の院の拝殿。
その先の岩の上に奥の院の祠。その向こうに駒ヶ瀧が見える。
奥の院。
瀧の高さは4m以上ありそう。瀧背後の岩を見ると人手で補強した?形跡が見て取れる。
瀧から更に石段を上がると、深くはないが岩窟がある。
洞窟の入口近くには将軍地蔵
洞窟の奥には厳島弁財天などを祀っている。
瀧の上。
川幅は細いが水量と水勢は十分で、そのまま瀧に落ちている。