高月町の野神さん(2頁)
馬上(まけ)の野神さん
見てのとおり大変個性的な野神さん。高時川左岸堤防の河川敷側にある。
砂を敷いた細長い長方形の区画の周囲を御幣を下げた細縄で囲っている。南端に竹の鳥居があり、額束部分に勧請縄のトリクグラズのような丸い輪が懸けられている。北端に先端に御幣を付けた青竹が立っている。
森本の野神塚
『村落景観情報-滋賀県伊香郡高月町村落景観情報』*1によると、昭和十四年まで野神祭が行なわれていたという。
高月の野神さん
日本電気硝子の工場の敷地に食い込んだ野神さん。前の道路も工場団地内という感じ。
『俊蔵祭』(松田行三 1988 高月図書館蔵)14ページによると、野神塚は裏面に昭和十三年とある。(中略)野神塚由来(古文書)農家ニ祭ルハ五穀成就ヲ祭ルノ謂ナリ唐土ニテハ農ヲ教ヘテ民夫食シ安穏ナラシム后稷ト云秋ヲ以之ヲ祭ル野神或是ナリ昔馬ノ野神号ス処ニ炬ヲ焼キテ神ニ燈明トス。何レノ年間ヨリ栗原ニ社地趾アリ是ヲ以テ野神トシテ大キナル炬ヲ焼キ野神女郎ヲ厳重ニ拵ラヘ鉦太鼓笛ヲ揃テ賑々敷シク渡リヲナセリ大円寺ノ門内ニテ莫太ノ炬ヲ拵へ栗原ヘ持込焼キタルモ天明年間南北ノ故障ニテ廃止セリ。
と記されている。
「
明治十六年、前田俊蔵がここで自決した。この年の夏は旱魃で、彼は福井県と岐阜県の境にある夜叉ヶ池の龍神へ自分の命と引き換えにと祈雨した。高月へ帰ってくると雨が降っていたので、ここで割腹自殺したという。
高月観音堂の入り口に「前田俊蔵氏之碑」がある。
高月観音堂のおしどり杉
神高槻神社の龍神さま
「林右衛門淵に祀られていたが、嘉永3年(1850)7月23日の大洪水の時、祈願し、大難を逃れ、翌4年2月木像を造り、仲右衛門の地を求めて社を建てる。後に神社境内に祀る。」*1とある。林右衛門淵は高時川の淵。
天神様
お稲荷さん
明治初期の神仏判然令の影響が明白な高月観音堂と神高槻神社。高月観音堂は神高槻神社の別当寺だったか。
高月 薬師馬場の槻
枯れてしまい、切り倒されたらしい。
東阿閉 の野神さん
圃場整備で引っ越したのか、或いはここに巨木があったのか、若木が隅に一本あるが、どうにもそっけない野神大神の石碑。
東阿閉公民館。
ヤンマー創業者の山岡孫吉は東阿閉の出身。1952年に私費を投じて寄贈した。
父塚古墳
墳丘の上にはお稲荷さん。
東柳野の薬師堂(長命寺)
賣比多神社
芭蕉の句碑
八九間そらて雨ふる柳かな
龍神さま
地元の方によると、昔旱魃の時に夜叉ヶ池の龍神へ降雨を祈願して雨が降ったので、ここへ勧請して祀ったという。
東柳野には野神さんは無かった。しかし、8月11日に「東柳野は野神と称される樹木や塚などはないものの、野神祭は集落の神社で神主が参加して執り行われている。」*7
姫塚古墳
現在の外観は前方後円墳のように見えるが、4世紀頃築造の全長約80mの滋賀県最大の前方後方墳だという。
柳野中の野神さん
地蔵堂・大表(おおもて)神社
野神さんは大表神社の社殿の向かって左側。
社殿に向かって右側のこの木の方が野神さんに相応しい高さだが…
西柳野の野神さん
野神さんは八幡神社の拝殿の左にある。
ちゃんとした社で祭神は稲蒼魂神とされている。『村落景観情報-滋賀県伊香郡高月町村落景観情報』によると当区個人所有の古文書には『…今日に至っても郷内の西南に、字浴「ユアミ」の内「ヲイハミ」と称する地があり、往昔神社の所在地なりとの伝説があり、大浴神社の社地であって、現今の地に移転し、野神と称するに至った…』と記されている。
『附神社明細帳除籍簿巻の3』(編次 56、No.241 請求番号:明-す-27)には、「明治四十三年九月十ニ日ニ許可ヲ得テ村社八幡神社境内社トシテ仝社ヲ合併」と朱書きされている。社号も野神社の「野」を消して稲荷と朱書きで訂正して稲荷神社としている。
道を挟んで右隣にある円行寺。真宗大谷派。
松尾・重則の野神さん
重則は松尾の一部だったが、元禄初期に分村が認められたという。
西野の野神さん
野神さんは遠くからも目立つ巨木ではなく、左の青竹と御幣を巻いたものだという話だが…。
日枝神社
筒池の水源
この山の麓の湧水は、主に集落の生活用水として使われていたようだ。
拝殿と本殿
山神社(やまがみさん)
恐らく高月町で唯一の山の神を祀る場。
ただ、通常の山の神とは由緒が異なる。地元の方のお話によると、(初代)西野水道の堀削工事の時、落盤が多かったので、トンネルのそばに山の神を勧請して祀り、その後、ここに移されたものだという。
東高田の野神さん
延喜式内社の櫻椅神社への道の角に立っている。