東阿閉・東柳野・柳野中・西柳野・松尾・重則・西野・東高田・布施
東阿閉 の野神さん
圃場整備で引っ越したのか、或いはここに巨木があったのか、若木が隅に一本あるが、どうにもそっけない野神大神の石碑。
東阿閉公民館。
ヤンマー創業者の山岡孫吉は東阿閉の出身。1952年に私費を投じて寄贈した。
父塚古墳
墳丘の上にはお稲荷さん。
高月町東柳野
東柳野の薬師堂
東柳野の薬師堂(長命寺)
快慶風鎌倉彫刻の雰囲気だが制作年代は不明。お顔がよい仏像だ。
賣比多神社
芭蕉の句碑
八九間そらて雨ふる柳かな
龍神さま
地元の方によると、昔旱魃の時に夜叉ヶ池の龍神へ降雨を祈願して雨が降ったので、ここへ勧請して祀ったという。
東柳野には野神さんは無かった。しかし、8月11日に「東柳野は野神と称される樹木や塚などはないものの、野神祭は集落の神社で神主が参加して執り行われている。」*7
姫塚古墳
現在の外観は前方後円墳のように見えるが、4世紀頃築造の全長約80mの滋賀県最大の前方後方墳だという。
柳野中
地蔵堂・大表(おおもて)神社
野神さんは大表神社の社殿の向かって左側。
社殿に向かって右側のこの木の方が野神さんに相応しい高さだが…
西柳野の野神さん
野神さんは八幡神社の拝殿の左にある。
ちゃんとした社で祭神は稲蒼魂神とされている。『村落景観情報-滋賀県伊香郡高月町村落景観情報』によると当区個人所有の古文書には『…今日に至っても郷内の西南に、字浴「ユアミ」の内「ヲイハミ」と称する地があり、往昔神社の所在地なりとの伝説があり、大浴神社の社地であって、現今の地に移転し、野神と称するに至った…』と記されている。
『附神社明細帳除籍簿巻の3』(編次 56、No.241 請求番号:明-す-27)には、「明治四十三年九月十ニ日ニ許可ヲ得テ村社八幡神社境内社トシテ仝社ヲ合併」と朱書きされている。社号も野神社の「野」を消して稲荷と朱書きで訂正して稲荷神社としている。
道を挟んで右隣にある円行寺。真宗大谷派。
松尾・重則の野神さん
重則は松尾の一部だったが、元禄初期に分村が認められたという。
西野の野神さん
野神さんは遠くからも目立つ巨木ではなく、左の青竹と御幣を巻いたものだという話だが…。
日枝神社
筒池の水源
この山の麓の湧水は、主に集落の生活用水として使われていたようだ。
拝殿と本殿
山神社(やまがみさん)
恐らく高月町で唯一の山の神を祀る場。
ただ、通常の山の神とは由緒が異なる。地元の方のお話によると、(初代)西野水道の堀削工事の時、落盤が多かったので、トンネルのそばに山の神を勧請して祀り、その後、ここに移されたものだという。
東高田の野神さん
延喜式内社の櫻椅神社への道の角に立っている。
布施の野神さん
集落の農地の北端、涌出山から西につながる丘陵の麓にある。