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常滑やきもの散歩道Aコース

やきもの散歩道

常滑の焼き物の歴史は、猿投窯さなげようの支窯から始まるとされる。猿投窯は愛知県豊田市と瀬戸市境の猿投山麗西南部一帯に広く広がる古窯群で、古墳時代から鎌倉初期頃まで生産が行われた。常滑では平安時代末に生産量が拡大した。その当時は、窖窯あながまだったが、大窯や鉄砲窯(蛇窯・龍窯)が広がる。これらの窯は焼成室が一つにつながっており、炎が下から傾斜の上部へ流れる構造で、横炎式(半倒炎式)と言われる。常滑では焼成室を複数設けた登窯は19世紀に登場する。これらの窯がすべて傾斜地に造る必要があった。近代に入ると、石炭で焼成する角窯、台車窯、両面焚倒炎式角窯りょうめんだきとうえんしきかくがまが取り入れられた。燃料は公害問題や価格から、石炭、重油、ガス炉や電気炉へと変化した。


やきもの散歩道

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常滑焼は、近世は甕(瓶)が主体、近代以降に急須とそれから明治末頃からは土管。原料に含まれる鉄分が発色した赤物と言われる朱泥急須から、常滑焼は赤茶色というイメージが浸透している。

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陶栄窯という登窯。国の重要有形民俗文化財
1887年頃に作られ1974年まで使われていたという。
最初の登窯は19世紀前半に鯉江方救によって造られた。


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ギャラリー雄
二階の窓から招き猫が招いている。
招き猫をあちこちに見るが、あくまでも常滑は招き猫の生産地という位置づけになる。一般的な招き猫のバリエーションが揃っているが、発祥の地とされる豪徳寺の招き猫とは顔が違っている。さっぱりとした姿の豪徳寺の招き猫の方が好きだな。


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完成品はトンネルを通り港まで運ばれた。廻船問屋瀧田家が船で主に江戸に運んびで売りさばいた。名鉄空港線が通っているあたりは海だったという。トンネルは埋まっているらしく、入り口も私有地内で見ることが難しいとか。


この金魚鉢は優れたアイデアだ。

まさか土管だけで建物を支えているのではないだろうが、端に並べられた土管は、緩い坂に沿って大きさが変わってゆく。


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煙突の頂上に生えた木。

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イタリアのサン・ジミニャーノの塔と比べるのは酷だが、レンガの煙突が並んだ独特な景観は珍しい。