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東近江市旧八日市市・蒲生町の山ノ神と野神

川合玉緒神社

蒲生町

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蒲生町

主祭神はスサノヲ。北に玉緒山(布施山)がある。


勧請縄

蒲生町

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蒲生町

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蒲生町

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金毘羅宮。九月一日に金毘羅相撲が行われるとか*1

 


蒲生町

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本郷、上本郷、東出、西出の4字が川合の山の神と野神を祀っている。山の神と野神は「玉緒神社境内の南東」にあり、「一月四日の早朝には、山の神の石碑のところに注連縄を張って供え物をする。」と『蒲生町史 第三巻 考古・美術・建築・民俗』*1には書いてあるのだが、見つけられなかった。

佐久良大明神

蒲生町

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神名から佐久良川の神様らしいが…


川合東出石棺仏

蒲生町

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悠久の丘 蒲生あかね古墳公園

天乞山古墳から稲垂の野神を眺む
あかね古墳

 
あかね古墳

柳宮神社・木村の野神方向の眺望
あかね古墳

 
あかね古墳

天乞山古墳
あかね古墳

久保田山古墳から柳宮神社方向の眺望
あかね古墳

天乞山古墳の復元された竪穴式石室
あかね古墳

 
あかね古墳

 
あかね古墳

 
あかね古墳


 

木村の野神

道祖神
木村

 
木村

野神さん
木村の野神

 
木村の野神

 
木村の野神

 
木村の野神

木村の野神相撲の行事は、当番が松の木で作った男神・女神を祀り、供え物をして、そこに村人が参詣する。その後、神前の土俵にて子供の相撲が奉納される。相撲の終了後、参加した大人たちにより直会かある。木村は旧蒲生町の北部にあり、川合や稲垂、横山と隣接する。戸数は約六五戸で、集落の北側に柳宮神社を祀る。野神は、集落と柳宮神社の間の田圃の中にあり、かつては松の木が生えていた。この松は幕張の松または補陀落の松と呼ばれ、聖徳太子が松の木に幕を張って木像を彫った場所という。松は数年前に枯れ、今はその幼木がある。なお、集落内にある長徳寺の仏像は聖徳太子の彫ったこの仏像だという。また、木村の地名の由来になった木だともいう。行事は毎年八月二六日に行われる。(中略)相撲には、露払い、散らし相撲、ケシ相撲の三種がある。(中略)見物に来ていた老人や成人男子の約一〇人ほどは、引き続き直会に入る。場所を野神の近くの蛭子社の傍の木陰に移し、薦を敷いて、席を作る。供えられていたトビウオ、ナス、お神酒の他にスルメ、ジャコなどにより、宴が営まれる。この直会を牛祭りとも呼ぶ。約一時間、歓談が行われる。適当なところで、打ち切りとなり、区長の挨拶により、散会となる*4

 
木村の野神

 
木村の野神

柳宮神社

 
柳宮神社

 
柳宮神社

 
柳宮神社

 
柳宮神社

祭神はスサノヲ
柳宮神社

 
柳宮神社

 
柳宮神社

 
柳宮神社

 
柳宮神社

 
柳宮神社

柳宮神社


 

市子殿・雨神社

蒲生町

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蒲生町

蒲生町


蒲生町

蒲生町


蒲生町

蒲生町


蒲生町

蒲生町


蒲生町

蒲生町


蒲生町

蒲生町


市子松井・松井神社

祭神は松井大神。

蒲生町

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「毎年八月二十一日ころに農家の人々を中心に野神さんの行事が執り行われる。市子松井には特に野神の祠などはないが、二軒ずつが当番となって宿を提供して会食する。その際当番の者はやはり黒ササギの種を申し送りで受け継いで栽培し、当日にはこれを炊いて松井神社に供える。」*1

田井集落内の祠

蒲生町

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田井・天満宮社の山の神

蒲生町

蒲生町


蒲生町

山の神。祭礼は1月2日で、以前は大きな注連縄を鎌で切る「山の口開け」が行われていたが、藁が十分に確保できなくなって、三つの束を撚った注連縄になったと社守の方が言っていた。2017年現在、田井在住の農家は5~6件くらいらしく、残りの田は外部の人が耕作しているので祭りも小規模になってしまったという。


蒲生町

天神様。
以前は大塚と合同の祭祀だったと社守当番の方は言っていた。


東近江市(旧蒲生町)大塚町

溜池の向こうに八幡神社の杜
蒲生町大塚

鳥居の前に勧請縄
蒲生町大塚

 
蒲生町大塚

左から、アマテラス、愛宕、スサノヲ
蒲生町大塚

弁天溜
蒲生町大塚

島に祀られているのは弁天様
蒲生町大塚

 
蒲生町大塚

溜池北西角の「停車場線」石碑
蒲生町大塚

 
蒲生町大塚

 
蒲生町大塚

 
蒲生町大塚


日野川と愛知川は直線距離で8kmくらい、その間を流れる佐久良川と日野川は2.5kmしか離れていないが、この地域には溜池が点々と造られている。

路傍などに祀られた神仏

 
蒲生町大塚

 
蒲生町大塚

津島神社
蒲生町大塚津島神社

 
蒲生町大塚

厄除け大塚大師堂
厄除大塚大師堂

 
厄除大塚大師堂

正一位真現稲荷大明神
真現稲荷大明神

 
真現稲荷大明神

 

 

庚申塚

 

高岡山妙厳寺ミョウゲンジ

曹洞宗寺院
蒲生町大塚妙厳寺

 
蒲生町大塚妙厳寺

 
蒲生町大塚妙厳寺

 
蒲生町大塚妙厳寺

大塚城跡

 
大塚城跡

 
大塚城跡

 
大塚城跡

 
大塚城跡

 
大塚城跡


室町時代中期に作られた平城で、近江鉄道の線路の東側にも広がっていたようだ。大塚さんのお宅は線路の西側にある。

大塚の山の神

 
蒲生町大塚

 
蒲生町大塚

近江鉄道朝日大塚駅のホームから
蒲生町大塚

線路の反対側から
蒲生町大塚

大塚の山の神では、集落内の山出・上の堤・北出の三つの集まりが毎年交代で山の神を祀っている。山の神に限らず、大塚での祭祀儀礼は上記三つに大塚イットウ(後述)と今堤とを加えた五つの集団で、それぞれに構成される「ショコウ(所郷)」と呼ばれる組織が単位となっている。山の神の当番神主は、毎年一月二日に籤引きによって決定される。神主が当たった人のショコウに属する人々は、それぞれに藁束を持ち寄って集まり、全員で御神酒を戴いてから準備に取りかか。神主の家では餅搗きが行われ、ほかの男たちは藁ヅ卜・藁製の鍋敷きと鍋つかみ・箸・棚・割竹で編んだ膳などを用意する。そして六〇センチほどの三股と二股の木を一本ずつ切り出してきて、それぞれで男体と女体の御神体を作る。また持ち寄った藁を使って太綱をなうのであるが、これは長さが100メートルはあろうかという長大なものである。そして一月三日の早朝、ショコウの人々は綱を担いで「山の神か起きやった」と唱えながら野神の森へと向かう。そして野神の近くで竃をこしらえて粥を炊く真似をし、ここで揃えた供物を山の神に供えに行く。山の神祭場の森に着くと、神主はここに御神体を供えて供物を捧げた後、綱を使って山の神の宿る木と野神の木とを結ぶのである。両者か結び付けられるころには、ほかのショコウの人々も手に手に藁ヅトを持って集まり始め。これを野神に供える。そして行事の最後には、『早稲・中稲・晩稲、大麦・小麦、大豆に小豆、商売繁盛、家内安全、ホーイホイ』と唱えながら、山の神から野神まで渡された綱を鉈で断ち切る。*1
大塚には、山の神、野神も祀られている。山の神は、朝日大塚駅の近くが祭場で、一月三日の朝に祀る。祭りの頭屋(山の神の神主)は、各ショコウから選ばれる。ショコウの人は二日に会所等に集まり、樫の股木で御神体を作り、七十五尋の繩を縫う。その夜には、お籠もりをする。三日の早朝に祭場に集まって神事を行ない、豊作祈願の詞を唱え、縄を切る儀式を行なう。野神は、山の神の南に祭場がある。八月二十二日に野神祭りがある。子どもが真似だけの相撲をし、豊作を予祝する。その後、虫送りの松明を作って、岡本境まで行く。野神場を使って、七月三十一日には水無月のチグサ(茅)の輪を作る。新竹を折り曲げて輪を作り、根から引き抜いた茅を巻きつけていく。一ヶ所、茅を8の字に結んだ束を括りつける。でき上がつた輪は弁天溜まで運び、神主が三回くぐった後にIケ所を鎌で切って、溜池の中島にある弁天堂まで水の中を泳いで持って行く。他に庚申さんも、山出と大塚一統のニケ所で祀られている。また、津鳥社は山出、上之堤、北出の三ヶ所にある。*2

大塚の野神

 
蒲生町大塚

 
蒲生町大塚

八月二十二日、野神祭りと虫送りがある。当番のショコウは野神場でシュウシをし、虫送りの松明を作る。ササギ(大角豆)の塩炊きを供える。子ども相撲の後、松明に火を付け、太鼓を先頭に、山田を通って岡本境まで松明を持って行き、放って帰る。*3

 
蒲生町大塚

 
蒲生町大塚

左は、野神から山の神(更に朝日大塚駅まで)を歩いた動画。山の神と野神の間の距離は直線で80mくらいだが、間に人家(工場?)があるので、道沿いに綱を伸ばすとほぼ100mとなる。、


参考史料:
  1. *01 蒲生町史編纂委員会/編『蒲生町史 第三巻 考古・美術・建築・民俗』蒲生町発行 平成12.2.29 598頁
  1. *02 大塚勘二郎『村里に生きる 東近江の農村の生活』サンライズ出版 2007.11 166頁
  1. *03 大塚勘二郎『村里に生きる 東近江の農村の生活』サンライズ出版 2007.11 20頁
  1. *04 滋賀県文化財保護課/編『『滋賀県の自然神信仰 滋賀県自然神信仰調査報告書(平成一四年度~平成一九年度)』滋賀県教育委員会 2007 224~226頁

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