東近江市旧蒲生町の山ノ神と野神
東近江市(旧蒲生町)大塚町
路傍などに祀られた神仏
高岡山妙厳寺
大塚城跡
大塚の山の神
大塚の山の神では、集落内の山出・上の堤・北出の三つの集まりが毎年交代で山の神を祀っている。山の神に限らず、大塚での祭祀儀礼は上記三つに大塚イットウ(後述)と今堤とを加えた五つの集団で、それぞれに構成される「ショコウ(所郷)」と呼ばれる組織が単位となっている。山の神の当番神主は、毎年一月二日に籤引きによって決定される。神主が当たった人のショコウに属する人々は、それぞれに藁束を持ち寄って集まり、全員で御神酒を戴いてから準備に取りかか。神主の家では餅搗きが行われ、ほかの男たちは藁ヅ卜・藁製の鍋敷きと鍋つかみ・箸・棚・割竹で編んだ膳などを用意する。そして六〇センチほどの三股と二股の木を一本ずつ切り出してきて、それぞれで男体と女体の御神体を作る。また持ち寄った藁を使って太綱をなうのであるが、これは長さが100メートルはあろうかという長大なものである。そして一月三日の早朝、ショコウの人々は綱を担いで「山の神か起きやった」と唱えながら野神の森へと向かう。そして野神の近くで竃をこしらえて粥を炊く真似をし、ここで揃えた供物を山の神に供えに行く。山の神祭場の森に着くと、神主はここに御神体を供えて供物を捧げた後、綱を使って山の神の宿る木と野神の木とを結ぶのである。両者か結び付けられるころには、ほかのショコウの人々も手に手に藁ヅトを持って集まり始め。これを野神に供える。そして行事の最後には、『早稲・中稲・晩稲、大麦・小麦、大豆に小豆、商売繁盛、家内安全、ホーイホイ』と唱えながら、山の神から野神まで渡された綱を鉈で断ち切る。
*1大塚には、山の神、野神も祀られている。山の神は、朝日大塚駅の近くが祭場で、一月三日の朝に祀る。祭りの頭屋(山の神の神主)は、各ショコウから選ばれる。ショコウの人は二日に会所等に集まり、樫の股木で御神体を作り、七十五尋の繩を縫う。その夜には、お籠もりをする。三日の早朝に祭場に集まって神事を行ない、豊作祈願の詞を唱え、縄を切る儀式を行なう。野神は、山の神の南に祭場がある。八月二十二日に野神祭りがある。子どもが真似だけの相撲をし、豊作を予祝する。その後、虫送りの松明を作って、岡本境まで行く。野神場を使って、七月三十一日には水無月のチグサ(茅)の輪を作る。新竹を折り曲げて輪を作り、根から引き抜いた茅を巻きつけていく。一ヶ所、茅を8の字に結んだ束を括りつける。でき上がつた輪は弁天溜まで運び、神主が三回くぐった後にIケ所を鎌で切って、溜池の中島にある弁天堂まで水の中を泳いで持って行く。他に庚申さんも、山出と大塚一統のニケ所で祀られている。また、津鳥社は山出、上之堤、北出の三ヶ所にある。
*2
大塚の野神
八月二十二日、野神祭りと虫送りがある。当番のショコウは野神場でシュウシをし、虫送りの松明を作る。ササギ(大角豆)の塩炊きを供える。子ども相撲の後、松明に火を付け、太鼓を先頭に、山田を通って岡本境まで松明を持って行き、放って帰る。
*3
左は、野神から山の神(更に朝日大塚駅まで)を歩いた動画。山の神と野神の間の距離は直線で80mくらいだが、間に人家(工場?)があるので、道沿いに綱を伸ばすとほぼ100mとなる。、
東近江市(旧蒲生町)蒲生岡本町
岡本は御代参街道の宿場だった。ガリ版発祥の地(地元出身の堀井新治郎という人が発明した)でもある。
天龍山梵釈寺
岡本の山ノ神
山ノ神と野神の関係は、檀家総代のお話では、1月の山ノ神神事で山ノ神が里に下り、9月の野神神事で山に帰るという理解になっている。これは、旧暦の1月と9月で考えると、辻褄が合う。両神事は、蒲生岡本の非農家も参加して行われるという。
岡本の野神
森梵の小径
寺の周囲の山林は岡本の共有林。梵釈寺は一時無住だったが住職夫妻が境内だけでなく共有林も整備を始めた。建部北町「河辺いきものの森」の保全・活動を行っているNPO「遊林会」と蒲生岡本などからのボランティアが整備を進めている。
- *01 蒲生町史編纂委員会/編『蒲生町史 第三巻 考古・美術・建築・民俗』蒲生町発行 平成12.2.29 598頁
- *02 大塚勘二郎『村里に生きる 東近江の農村の生活』サンライズ出版 2007.11 166頁
- *03 大塚勘二郎『村里に生きる 東近江の農村の生活』サンライズ出版 2007.11 20頁
- *04 滋賀県文化財保護課/編『『滋賀県の自然神信仰 滋賀県自然神信仰調査報告書(平成一四年度~平成一九年度)』滋賀県教育委員会 2007 224~226頁