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高野山(1)

高野山

大門


壇上伽藍

中門。高野山開創1200年を記念して再建。

高野山

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高野山

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金堂。

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六角経蔵

御社みやしろ


高野山

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御影堂

孔雀堂と准胝堂


高野山

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高野山

鐘楼と西塔


高野山内最古の建物で最も美しい建築ではないだろうか。

高野山

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根本大塔

高野山

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高野四郎

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三昧堂

高野山

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西行桜。三昧堂の移築記念に西行が植えたという桜の二代目。
左奥は大会堂


愛染堂


高野山

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東塔。左に根本大塔が見える。

 


高野山

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清瀧権現

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7月末に紅葉している。

蛇腹路の町石。


高野山

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金剛峯寺

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新別殿に行くと、お茶と菓子の接待があり、本山布教師の法話が聴ける。。

高野山

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建物も庭園も禅寺を思わせる。

高野山

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中庭

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見学コースで一番面白かったのは、台所

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高野山

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東側の長屋門


高野山

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防火用の天水桶。


西禅院。宿坊やってます。

勧学院


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常喜院

高野山

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六時の鐘(鐘楼)


弁財天

高野山内には弁財天が七ヶ所祀られているそうで、金剛峯寺を東に出たここはその一つ。

高野山

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町石

町石


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成福院の摩尼宝塔

町石


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遍照光院

高野山

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御所の建春門と同じ型式という山門

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高野山

宿坊をやっているので宿泊可能。


清高稲荷

高野山

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高野山

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真言宗とお稲荷さんといえば、東寺と伏見稲荷の関係が浮かぶ。この清高稲荷が、そういった関係の延長なのかはわからないが、山内に祀られていてもおかしくはない。男檜と女杉は左下の写真でくっついて見えるのがそれらしい。

高野山

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高野山

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苅萱堂

一番興味を持って訪れたところ。本尊は引導地蔵と呼ばれる地蔵菩薩。高野聖の一派・萱堂聖が唱導で広めた苅萱道心と石童丸の物語は、謡曲「苅萱」、説教節「かるかや」、浄瑠璃「苅萱桑門筑紫車榮(かるかや どうしんちくしのいえずと)」をはじめ、琵琶語り、浪花節、盆踊りの 口説き唄としても語られ、全国的に流布した。

高野山苅萱堂

高野山苅萱堂


堂内の右手から内陣裏を通って左手から出る外陣に相当する回廊に苅萱道心と石童丸の絵物語が掛けられている。この物語で、筑紫の管領加藤左衛門尉重氏(出家前の苅萱)の正妻が家来に刀を渡し、これで千里姫の首を切って持ち帰れと命じ、家来は他の女の首を切って持ち帰ったという部分は、何から採ったのだろう。

高野山苅萱堂

高野山苅萱堂


石童丸の母・千里姫は女人禁制のため高野山に上れず麓の宿・玉屋で亡くなった事になっているが、苅萱堂の脇に墓がある。苅萱堂の背後には密厳院がある。覚鑁かくばん(興教大師)が無言三昧を1446日行ったところだが、当時は密厳堂の位置にあったのだろうか?覚鑁は高野山の改革に尽力したが内部抗争が激化し無言三昧の後、焼き討ちに遭い根来寺へ移り新義真言宗の始祖となった。後に密厳院はここに再建された。

高野山苅萱堂

高野山苅萱堂


高野山苅萱堂

高野山苅萱堂