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甲賀市水口町

水口町宇川

 
水口町宇川

 
水口町宇川

水口町宇川

水口町宇田

柏貴橋から上流側
水口町宇田

下流側
水口町宇田

河辺林が開発?されている
水口町宇田

旧堤防。この先に八幡神社御旅所がある。
水口町宇田

水口町宇田の野之神

この位置は、圃場整備により、宇田地区の共同墓地を挟んで北西の方から遷されたものであるという。*5

 
水口町宇田

 
水口町宇田

JAの低温倉庫の向こうには野洲川が流れている。


宇田の野之神

八幡神社御旅所と野神の石碑


宇田の野之神


JAの低温倉庫を拝んでいるような気分になる。


宇田の野之神


旧堤防植の八幡神社御旅所


宇田の野之神


八幡神社の森が見える。


宇田の野之神

このページ下にある山中氏屋敷址は、神宮文庫所蔵「山中文書」で知られる山中氏の本拠地だったとされるところ。石田善人、高木昭作、村田修三、石田晴男などの研究者が、「山中文書」を参照して、小領主、郡中惣などを論じてきた。
一方、福田アジオは、『時間の民俗学・空間の民俗学』*1の「Ⅱ 領域と境界の民俗」-「三 村の空間構成」で、ムラ―ノラ―ヤマという三つの空間構成がよくわかる事例として、宇田を取りあげている。同書119頁の図表5を見ると、旧堤防上に、東から八幡神社の御旅所、門徒の三昧、野神と並んでいるので、野神は現在地へ移されたようだ。『滋賀県の自然神信仰』によると、圃場整備により、宇田地区の共同墓地を挟んで北西の方から遷されたものだという。旧堤防を西に延長した先の交差点北西角に共同墓地がある。南の柏貴地区との間を東西に通る道路が、ほぼ旧堤防のようである。野神の由来については、各戸が銘々にお詣りをするという性格上、記録等が残っておらず、一切判らない。*3と、地域共同体の行事でなく家毎の行事であるというのが興味深い。


八幡神社は居住地部分の南端に位置している。
水口町宇田

 
水口町宇田

水口町宇田の八幡神社

 
水口町宇田

 
水口町宇田

 
水口町宇田

 
水口町宇田

 
水口町宇田

 
水口町宇田

 
水口町宇田

 
水口町宇田

山中氏屋敷址

 
水口町宇田

 
水口町宇田

 
水口町宇田

 
水口町宇田

 
水口町宇田

 
水口町宇田

 
水口町宇田


 

五十鈴神社・極楽寺

五十鈴神社
水口町宇田

 
水口町宇田

 
水口町宇田

極楽寺
水口町宇田

 
水口町宇田

日枝神社
水口町宇田

唯称寺

 
水口町宇田

 
水口町宇田

 
水口町宇田

 
水口町宇田

水口町植の国中(こくちゅう)神社

 
水口町植

 
水口町植

 
水口町植

 
水口町植

 
水口町植

 
水口町植

 
水口町植

 
水口町植

 
水口町植


『滋賀県の自然神信仰』によると、水口町酒人(さこうど)の早苗振り行事が五月中旬の田植えが終了した後の日曜日に*4に行われる。国中神社は、水口町植の南東、宇田との境に近いところに位置する。同日、続いて水口町植の西側に接する水口町酒人の日吉神社でも同様の神事が行われる。国中神社は、このあたりにあった柏木御厨などの中心神社だったということか。

水口町杣中の野神

杣川の左岸


杣中





東京女子大学文理学部史学科民俗調査団『甲賀杣中の民俗』*279頁に昔は田の中にあった大きなけやきの木をまつっていたが、一〇年ほど前に田の区画整理のためその木を切り倒したので、現在ある石碑が代わりに建てられた。という記述がある。76頁の大まかな地図では集落の東にあるようなのだが、石碑はないので、ここがその位置なのかは確認できない。1983年の調査なので、その後、色々あったのかもしれない。ここは滝川と宮川が合流した川が杣川に合流する地点となっており、野神さんを祀る位置としては好ましいと考えられる。



参考文献
  1. *01 福田アジオ『時間の民俗学・空間の民俗学』木耳社 1989
  2. *02 東京女子大学文理学部史学科民俗調査団『甲賀杣中の民俗 : 滋賀県甲賀郡水口町杣中』東京女子大学文理学部史学科民俗調査団 1984
  3. *03 滋賀県文化財保護課/編『滋賀県の自然神信仰 滋賀県自然神信仰調査報告書(平成一四年度~平成一九年度)』滋賀県教育委員会 2007 138頁~139頁
  4. *04 滋賀県文化財保護課/編『滋賀県の自然神信仰 滋賀県自然神信仰調査報告書(平成一四年度~平成一九年度)』滋賀県教育委員会 2007 139頁
  5. *05 滋賀県文化財保護課/編『滋賀県の自然神信仰 滋賀県自然神信仰調査報告書(平成一四年度~平成一九年度)』滋賀県教育委員会 2007 138頁

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