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大原

魚山派の声明を訪ねて

来迎院


円仁が唐の五台山で学んだ魚山の梵唄の修練道場として大原寺だいげんじを開山したと言われる。しかし、融通念仏宗の開祖となる聖応大師良忍が来迎院を建立し、天台声明を確立したと言える。日本で魚山と言えば来迎寺を指すと考えてよい。律川と呂川の間に立地し、山門前の道を更に上ると音無の滝に行けるという、声明に囲まれたような場所だ。大原寺という寺号は大原という地名の由来とも言われる。
聖応大師(良忍)三重石塔(来迎院三重塔)は国の重文






良忍の御廟


来迎院

これが重文の三重の石塔


来迎院



音無の滝

なぜ「音なし」なのかの由緒の説明。


音無の滝



浄蓮華院

宿坊もやっています。来迎院を中心とする上院には浄蓮華院の他に道向かいの遮那院、蓮成院がある。


鉈捨藪跡


法華堂



法然上人腰掛石


勝林院


来迎院が上院で、勝林院が下院となっている。勝林院を中心とする下院には、宝泉院と実光院がある。
勝林院は寂源が建立し、後に良忍が建立した来迎院の上院に対し下院と言われる。実際、地理的に勝林院の方が来迎院よりも標高が低い場所にある。
勝林院はまた、法然が様々な宗派の高僧と浄土宗の阿弥陀如来の本願について問答した文治二年(1186)の大原問答の舞台としても知られる。そのため、上の鉈捨藪跡や法然上人腰掛石といった法然関連の名跡?がある。


寺の縁起を彫った擬宝珠


本堂は近世の築だが、かなり凝った装飾。






弁天堂


勝林院


山王社と観音堂


勝林院

宝篋印塔(国の重文


勝林院


板碑の前あたりが西林院跡か。


勝林院

梵鐘も国の重文


勝林院