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木之本町の野神さん

(高時村 => 木之本町)石道いしみちの野神さん

木之本町石道

木之本町石道


木之本町石道

木之本町石道


井明神橋東詰めからまっすぐ東に行くと石道の集落。集落の先に石道寺がある。
石道の田地は集落の西南西に広がる。野神さんは集落の南にある。その南西にはあまり広くはない田地が広がるが、東の己高山や山田山の麓でもあり、かつては山の生業の比率が高かったのではないかと思われる。野神さんは榎の巨木だったが、枯れたので石の塚を築いた。
野神祭は8月18日。郷廻りの太鼓踊りがある。

『近江国伊香郡二十七ヶ村耕地絵図 近江国伊香郡石道村(近江国各郡町村絵図 』に「の神」が見える。この絵図は明治初期に彦根県が製作したもの。彦根県は明治四年(1871年)夏に廃藩置県で成立し、秋には第1次府県統合で長浜県になっている。従ってこの絵図は明治四年に彦根県が成立した直後に制作され、旧彦根藩領から継承した状態を表していると考えられる。彦根藩は高月町に多くの所領を持っていた。


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木之本町赤尾の野神さん

余呉川右岸、赤尾橋のすぐ上流にある。県道44号木之本長浜線からも余呉川の向こうに見える。

赤尾

赤尾


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木之本町大音おおとの野神さん

余呉川右岸、大音の東端に位置する。

大音

大音


大音

大音


大音

大音


大音

大音と伊香具神社へは、こちらのリンクから。


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木之本町千田せんだの野神さん

千田

千田は、唐川・湧出山ゆるぎやまの東に位置する。

かつて野神さんがあった場所は北陸自動車道の建設でつぶされてしまった。この写真の背後のあたりになるはず。そこで近接するこの場所に石碑が立てられた。


ハンの木が残されている。

 


千田

千田


石作玉作神社

千田

千田


拝殿

これが相殿?


千田

千田


本殿

神饌殿


千田

千田


千田

上の「由緒」の石碑に依ると、石作連の祖神を祀った石作神社と玉作連の祖先を祀った玉作神社を文明四年(1472)に合祀し、更に千田の産土神の八幡神を相殿に祀ったという。『石作玉作両社考 祠掌林氏蔵版』(進藤千尋、南部晋、若江薫子/編輯 澤宗次郎発行 1874)にもう少し詳細な由緒や「石作神社寳圖考」が書かれている。石作連や玉作連という部曲かきべがいたとすると、大化の改新前の7世紀前半頃にこれらを生業とした人びとが集住していたことになる。少し南の「物部」との関係が気になるところ。


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木之本町伊香高等学校の野神さん

伊香高等学校

伊香高等学校


伊香高等学校

伊香高等学校


伊香高等学校

伊香高等学校


伊香高等学校

伊香高等学校


伊香高等学校

伊香高等学校


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木之本町古橋の野神さん

 
木之本町古橋の野神

 
木之本町古橋の野神


 
木之本町古橋の野神

 
野神さんの石碑は集落と山裾の畑との境界に祀られている。この集落では野神さんと下に示す山の神の両方を祀っているが、いわゆる両神の春秋交替説は感じられず、別のカミとして認識されているようだ。


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木之本町古橋の山の神

古橋は高時川両岸にわずかに田地があるが、村域のほとんどは己高山西斜面での山仕事を生業とした山村の性格が強い。

小字名が「山ノ神」ということか。
木之本町古橋の山の神

 
木之本町古橋の山の神


地元の方は、山に入るとき・出るときに拝んでいたと言われた。
木之本町古橋の山の神

現在は特に定期的な祭行事はないらしい。
木之本町古橋の山の神


 
木之本町古橋の山の神

谷川を渡るが「山の口」という認識だろうか。
木之本町古橋の山の神


山の神は谷川を渡る橋の里側に祀られている。
木之本町古橋の山の神

橋を渡った先は「寒谷」という小字。
木之本町古橋の山の神


この川の水は集落の畑・生活用水として重要だったようだ。
木之本町古橋の山の神

 
木之本町古橋の山の神


 
木之本町古橋の山の神

 
木之本町古橋の山の神


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