下根来~遠敷(2)
若狭彦神社上社
『日本書紀』では
竜前
若狭彦神社下社(若狭姫神社)
楼門の吉祥八人
遠敷大明神は、元々若狭神宮寺に祀られていたが、明治の神仏分離でこちらに移されて若狭姫と一緒にされてしまった。お水送りで、若狭彦神社上・下社が登場しないように、若狭神宮寺・遠敷大明神と若狭彦神社上・下社は、近世までは別の歴史を辿って来たように思われる。
和銅七年(714)頃に和の赤麿が鈴応山神願寺を建立し、薬師如来と十一面観音を祀った。また根来から白石明神を遷座して遠敷大明神を同地に祀った。寺伝では、白石明神が前世の殺生のために鬼になったので寺を建て仏を祀れと赤麿に頼んだという話になっているが、これは神仏習合の仏教側の伝承としてよくあるパターンと言える。「若狭比古」は白石明神とは別の地主神的な性格か、在地有力者の氏神の面影を残していると捉える方が妥当なのではないだろうか。なお、白石神社の「シラ」は遠敷や根来と同様に朝鮮半島起源のような響きを持つが、ここらは有力な裏付けを見いだせない。
「母乳が授かる」という乳神さまのイチョウの木
枝から乳根が垂れ下がるのだという。
『続日本紀』の卷三十に八月庚寅朔。日有蝕之。遣参議従四位下外衛大将兼越前守藤原朝臣継縄。左京少進正六位上大中臣朝臣宿奈麻呂。奉幣帛及赤毛馬二疋於伊勢太神宮。遣若狭国目従七位下伊勢朝臣諸人。内舍人大初位下佐伯宿禰老。奉鹿毛馬於若狭彦神。八幡神宮。各一疋。
とある。(http://www.j-texts.com/jodai/shoku30.html)
参考史料:
- *01 國學院大學「神道・神社史料集成」