最上稲荷(2)
本滝
懸造りの上に本滝がある。
7月第三日曜日の夏期大祭では、ここで八大龍王の宝珠を乗せた神輿が滝にうたれる。
八畳岩・奥の院を目指して、さらに上る。
最上稲荷は、平安時代以来、仏教的山岳修行者によって管理されたので、仏教的稲荷信仰になった。それもはじめは天台宗であったというのは、三井寺園城寺系の山伏の止住で、龍王山の稲荷信仰が管理されたのであろう。そのために密教的稲荷神である荼吉尼天像を本尊とするようになったものとおもわれる。
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題目岩
龍王山の古墳
最上稲荷の龍王山に古墳が多いことから見て、この稲荷信仰はすでに古墳時代にさかのぼるものであるし、最初は山麓の豪族によってまつられたものとかんがえられる。龍王山古墳群のうち、佐太郎塚一号墳とよばれるものは、本社のすぐ上にあたる標高二〇〇メートルの山頂にあり、全長約一〇メートルの円墳で古墳群中最大の規模である。玄室の奥行四・五メートル、羨道三メートルで、玄室の奥壁に接して、ドルメン状の石棺がある。おそらくこの古墳が信仰対象になった時代があるとおもわれ、その下には厳開天王社があり、いかなる場合も水が涸れないという清水の井戸がある。
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八丈岩(八畳岩)
その一段下の平地に「報恩大師練行之地」の表示があるのは、このあたりが元の中社であったという伝承があるのであろう。この平地の南端は巨大な八丈岩であって、その上に立てば本社の屋根とともに高松城址から足守川の平を一望のうちに俯瞰することができる。そしてこれを下から見上げれば、八丈岩の下に題目岩の奇怪な立石を仰ぐことかできて、古代信仰の発生する条件を具備している。*2