建部
旧神崎郡建部村。住所としては「タテベ」と読む。
建部下野町 天一神社の山の神さん
天一神社の祭神は『古事記』では天地初發之時 於高天原成神名 天之御中主神 訓高下天、云阿麻。
と造化三神の最初に現れた
祭礼は8月6日に近い日曜日に行われ、祭礼行事としては神饌をお供えし、子供相撲が行なわれる。*1
建部上中町
天神社
建部北町 山王神社
建部北町 河辺いきものの森
東近江市のWebサイトにある「八日市いきものふれあいの里 河辺いきものの森」というページには河川に沿って分布する森林のことを、河辺林といいます。かつて河辺林は、水害の防備や農用林(里山)として、大きな役割を果たしていましたが、今日ではその多くが開発にさらされたり、管理が放棄されたりして、その姿を失いました。ここ建部北町の河辺林も、古くから人手が入り、人々の暮らしに深く関わっていた林でした。また河辺林は、低海抜地でありながら、シナノキやキクザキイチゲなど本来この標高に見られないはずの山地性の植物が生育する特徴も持ち、貴重な自然が育まれる場所でもあります。しかし、里山として利用されなくなったため、照葉樹林への遷移や竹林の拡大による植生の単純化などが起こるとともに、里山を通じた人との自然の関わりも薄れるようになってしまいました。
*2と書かれている。ここは、愛知川が緩やかに流れを北に変えている区間の端という感じの位置で、一応攻撃面と言えるだろう。その後背湿地に河辺林が形成され、建築材、薪炭などに用いられる木を得る場所として山の入会地と同様の役割を果たしていただろう。
『八日市市史資料集 Ⅲ 八日市市の民俗』に、北の山の神は愛知川ぞいにある松の木と自然石が神体である。しかし、この山の神は八月七日が祭日で明らかに野神と混同されており、祭りの内容も、白米と小豆を供え村人たちか酒をもち寄って神体の前で会食をしたり、また、祭場の前の相撲場で若衆たちが相撲をとったりするもので、他地区の野神の祭りと同様の行事を行う。その意味で、この行事は野神の祭りであり、名称のみが山の神と混同された形で伝承されてきたものといえよう。
*4という記述がある。
愛知川左岸堤防からの眺め。5月最終日曜日に行われた大凧まつりの会場がこの河川敷。
愛知川後背湿地の面影を感じさせる河辺いきものの森を横切る小川。
建部南町
御代参街道から、この集落まで、道沿いには常夜灯と津島神社のお札が入った祠が点々と立っている。
劔宮神社
祭神は天一目命。上の説明にあるように、『日本書紀』に「天目一箇神爲作金者」と出てくる。
野神
野神社は、鳥居をくぐってすぐ右側。祠の下に置かれた石が、かつては川原石を依り代にしていたことを思わせる。
- *01 滋賀県教育委員会文化財保護課編『滋賀県の自然神信仰 滋賀県自然神信仰調査報告書(平成一四年度~平成一九年度)』滋賀県教育委員会 2007
- *02 「八日市いきものふれあいの里 河辺いきものの森」(http://www.city.higashiomi.shiga.jp/0000000120.html 2018.11現在)
- *03 滋賀県教育委員会文化財保護課編『五個荘町史 第二巻 近世・近現代』五個荘町役場 1994 203頁
- *04 八日市史編さん室編『八日市市史 資料集 Ⅲ八日市市の民俗』八日市市教育委員会発行 昭和61.3.31 97頁