建部
建部日吉町
御代参街道
東近江市建部日吉町乳橋の地蔵堂
日吉神社
東近江市建部日吉町。建部郷十七ヶ村の総社だった。
吉住池
東近江市建部日吉町。『五個荘町史 第二巻 近世・近現代』*3によると「ゆるが上溜め池」と呼ばれており、伊野部、平坂(平阪)、木流、下野の用水源だった。奥も正月に井のカミとして参ったという。
野の神のまつり
*3
吉住池東岸に八日市市建郡日吉集落の野の神の斎場がある。この野の神の斎場を別称『ダイジョウゴさん』と呼んでいる。昭和55年の耕地整理以前には、三本の大杉が生えていたが、昭和56年に『野の大神』の石標を建立した。野の大神のまつりは、8月7日に氏子総代一人が酒一升とマクワ瓜を持って参詣するだけである。周辺集落の野神まつりには、惣中の男性が参詣して子供相撲を奉納するが、この野の神まつりには、子供相撲を行った伝承はない。
建部瓦屋寺町
吉住池
瓦屋寺古墳群北山古墳
瓦屋寺参道
牛尾神社
滋賀県立公文書館の所蔵資料検索システムに、[件名]神崎郡建部村瓦屋寺、無格社、白山神社・野神神社・稲荷神社、村社牛尾神社へ合祀、[請求番号]明-す-197 、[簿冊名]大正5年神社廃合願届書願 、があるので、大正5(1916)年に、野神神社などが牛尾神社へ合祀されたことがわかる。別の文書から、それまでは神崎郡瓦屋寺村字山面に野神社があったことがわかる。
この神社には祭神や由緒を書いた説明板がないので、主祭神が大山咋神であることさえ滋賀県神社庁のウェブサイトを見ないとわからない。なお、このサイトには、境内社として神明神社だけが載っている。こうして、合祀されたカミは忘れられて行くのだろう。
重定稲荷
向かって右側の小祠も、やはりお稲荷さんのようだ。
なお、「重定」の読みはきちんと確認できなかった。上の牛尾神社のところに書いたように、野神社と同時期に稲荷神社も合祀されているが、その稲荷社は、ここではないということか。
建部境町の野神
近世村の村域を残すこの辺りの町は、東西に細長い町域を持つ。建部境(堺)町の東端は愛知川右岸(東側)堤防あたりで、野神さんは堤防の川裏(水が流れる側の反対側)すぐに祀られている。ちょうど「すこやかの杜」のグラウンドと野球場の間で、ここはかつてはちょっとした公園があったようで、その堤防麓の林の中に石碑が見える。
建部境町の山ノ神
建部境町の山ノ神は野神さんと正反対の町域の西端に祀られている。新興住宅地という風情の整備された街路に面しており、この景観からは何故ここに山ノ神が祀られているのか理解しがたい。最寄りの延命公園がある山までは直線で1㎞くらいある。すぐ東側には耕地が広がり、市街地の端だということがわかる。
『八日市市史 資料集 Ⅲ 八日市市の民俗』には、堺の山の神は、神体か吉野桜で、性別は女性だという。祭日は一月二日で、各戸一人の男性が参る。村神主が御神酒・御幣・小石を入れたツトをもって参り、このツトを桜の木にかける。また、五月五日にも餅・ヨモギ・ショウブをもって参る。この日は、各戸のカマドで、苗・サバ三匹・竹の木に柳の枝のはしを添えてまつることから、この山の神は、田の神として祀られているようである。禁忌としては、御神体の木は切ってはいけない、女性は一月二日・五月五日に山の神に近づいてはいけない、五月五日に牛を働かせてはいけないなどの伝承がある。
*2という記述がある。
- *01 滋賀県教育委員会文化財保護課編『滋賀県の自然神信仰 滋賀県自然神信仰調査報告書(平成一四年度~平成一九年度)』滋賀県教育委員会 2007 45頁
- *02 八日市史編さん室編『八日市市史 資料集 Ⅲ 八日市市の民俗』八日市市教育委員会発行 昭和61.3.31 96~97頁
- *03 滋賀県教育委員会文化財保護課/八日市市教育委員会『県営かんがい排水事業関連発掘調査報告書2-2 日吉・吉住池追跡発掘調査報告書』滋賀県教育委員会 1984 69頁