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奥丹生谷(ダム湖に沈まなかった村)

奥丹生七ヶ村(半明、針川、尾羽梨、鷲見、田戸、奥川並、小原)の内、半明、鷲見、田戸、小原の4村は、丹生ダム建設計画により立ち退きし廃村となった。しかし、ダム建設は2016年に正式に建設中止となった。

【小原】
小原

ショウズ
小原

 
小原

 
小原

 
小原

春日神社跡
小原

疱瘡には白い紙垂(しで)、はしかには赤い紙垂に赤い飯
小原

 
小原

 
小原

「小原かご」唯一人の伝承者 太々野さん
小原

 
小原

 
小原

【田戸】
田戸

左は焼畑跡、右はノマ跡か
田戸

 
田戸


ここでも野神祭りが行われていた。
県道285号線(中河内木之本線)は計画通り全線完成する時が来るのだろうか?
携帯電話もこの頁の地域は、ほぼすべて圏外だ。

【鷲見】
鷲見

簡易水道
鷲見

鷲見川に架かった鷲見橋
鷲見

鷲見川の両岸に人家があった
鷲見

八幡神社跡あたり
鷲見

鷲見の八幡神社は東野の八幡神社に合祀された
鷲見

洗い場だったと思われる場所が幾つも残っている。
鷲見

 
鷲見

 
鷲見

 
鷲見

鷲見川は集落のすぐ東で高時川に合流する。
鷲見

 
鷲見

 
鷲見

 
鷲見

鷲見の地名発生伝承では、鷲(雌雄とも)が巣とする石窟があった。椿坂か西山の郷士が射殺したが、その石窟に岩屋神社として鷲を祀ったという。その場所は、高時川の対岸の土手を登ったところ。途中に、かなりけわしい坂道、岩のつきでた難所があり、30分くらいで到着する*2。他村の野神祭は8月23日だが、鷲見では毎年8月25日に岩屋神社で野神祭が行われていた。しかし、岩屋の中の石祠に安置されたご神体は、一つの石に陽刻された三仏で、中央は不動明王とされている。そのため廃村の際に、西念寺の住職が東野の移転先にお堂を建て安置した。28日が不動明王の縁日であることからも、現在の西念寺では不動明王の縁日行事と解釈しているようにも思われる。

野神さんは東野の西念寺のお堂に移った。
鷲見

この写真のような岩穴があった対岸の崖を上った所にあったのだろうか。
鷲見

【尾羽梨】
尾羽梨


日吉神社跡

【針川】
針川

北東から流れてきた針川が北西から流れてきた高時川に合流する
針川

 
針川

 
針川

五右衛門風呂
針川

 
針川

 
針川

 
針川

 
針川

 
針川

 

*集団離村の時期*


奥川並 1969 昭和44年
針川 1970昭和45年
尾羽梨1971昭和46年
鷲見 1995平成7年
田戸 1995平成7年
小原 1995平成7年
半明 1995平成7年
参考文献
  1. *01 吉田一郎『地図から消えた村』湖北アーカイブ研究所 (発売元)サンライズ出版 2022.3.15
  2. *02 余呉町教育委員会『高時川ダム建設地域民俗文化財調査報告書』余呉町教育委員会・建設省高時川ダム工事事務所 白水社 1991.3.1

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