余呉の野神さん(1)
余呉町文室 の野神さんと山の神
文室の集落は北・西・南を山で囲まれた奥まった位置にある。
北野神社
地元の方のお話によると、山の神は左写真山上右端の送電線の鉄塔の近くにあった「権現さん」のところに祀られていたという。権現峠と呼ばれた場所には足前権現が祀られていたらしい。
湖北は山の神の存在が希薄だが、かつては確かに存在した事を伺い知る事ができる。
野神さんは国安が中心に祭祀が行われているという。
「綾の神」は珍しい興味深いカミだが、養蚕の関係のように感じられる。
余呉町国安の野神さん
草岡神社
主祭神はタカミムスビとカミムスビ伊香郡余呉町に五つの集落で一つの踊りを伝承している五箇 (ごか )踊り」が伝わっている。
五箇とは、同町国安、池原、今市、東野、文室の五つの村である。この五箇の青年たちが、かつて片岡郷の郷社であり、式内社である草岡神社の野神祭に、豊作を祈って踊りを奉納したのが「五箇踊り」である。野神祭祭礼踊りとされるこの踊りは、享保五年 (一七ー〇年 )ごろから伝わるとされ、毎年八月二十五日の野神祭の日に奉納されている。
(『湖北賛歌 吉田一郎著作集①』80頁)
神社でお見かけした地元の方から、国安に野神さんは3ヶ所に祀られていると聞き、場所を教えていただいた。
(1)草岡神社西の鳥居脇の野神さん
(2)集会所の先の野神さん
田圃の中にポツンと浮かぶ島のように見える。
(3)余呉川左岸の野神さん
高さ十丈の欅があったとか。
毛受 兄弟の墓
4月下旬に紅葉している。
毛受兄弟の墓にある説明板に書いてあるように、賤ヶ岳の戦いの時に、毛受兄弟は、ここに陣を張ったという。
余呉町東野の野神さん
八幡神社
石柱の三つの野神さん。左端は「昭和三拾六年」(1961年)と彫ってあるので、地元東野の野神さんか。
中央と右端はいずれも昭和四一年八月と彫ってある。奥丹生の七ヶ村の中で、最初に離村した奥川並(おくこうなみ)の離村は昭和四四年なので、早すぎる感じがするが、合祀された神社から考えると、昭和四五年離村の針川と昭和四六年離村の尾羽梨(おばなし)の野神さんとなる。
法照寺
西念寺
奥丹生の鷲見の人々は、1995(平成7)年~1996年に離村し東野へ移り、鷲見にあった西念寺もここに移った。その際、住職が高時川左岸の巌窟に祀られていた不動明王などを陽刻した石を、現本堂右手のお堂に納めた。8月28日(不動明王の縁日)に鷲見から移り住んだ人たちで野神祭を行っているとのこと。(2022.4.26)