近江の荘園
条里というのは、古代に平野を六町幅で東西・南北に、あるいは地形の傾斜にしたがった傾いた方位で直交状に区画しその六町四方の区画を一町四方の坪とよぶ区画三六個に細分した、農村地帯における計画的な土地割である。この六町四方の一区画は里(り)とよばれ、某条某里で位置が明示される。里内を細分した坪は「一ノ坪」から「三六ノ坪」まで序数を付してよばれ、その配列方法には千鳥式と並行式の二種類がある。前者は、「一ノ坪」から「六ノ坪」へ進んだ順番を「七ノ坪」で折り返す方式で、後者は、「一ノ坪」から「六ノ坪」へ進むその同じ方向を「七ノ坪」から「ーニノ坪」、「一三ノ坪」から「一八ノ坪」と踏襲して、最後の「三六ノ坪」が「一 ノ坪」の対角線上に終わる方式である。近江国では、全域にわたって並行式の坪並がとられた。一つの「坪」は六〇歩 (六〇間 )×六〇歩で三六〇〇歩の地籍を有し、古代にはこれが一町歩であった(太閤検地以後はこの同じ面積を一町二段と数える)。坪内はさらにー〇等分され、その一つ、つまり最小区画が三六〇歩=一段であるが、その割り方には六〇歩×六歩の長地型と、長地二枚を合わせて半折した形の三〇歩×ー二歩の半折型の二種類があった。このようにして、土地区画の最小単位である一段の土地の所在を、例えぱ南北に長い長地型の場合であれば、某条某里某坪東 (または西 )より何段目、というふうによぶことによって指示することができる。このような土地区画法と呼称法とを総称して条里制という*1。
321~322頁(図の参照部分など一部を引用者が省略)
○条○里(里)[面積]=36坪[面積]、1坪[面積]=11,881平方メートル=1町[長さ]×1町[長さ]=109m×109m、1町[長さ]=60歩[長さ]=109m、1歩[長さ]=1.8m=1町[長さ:109m]÷60、長地型1段[面積]=60歩[長さ]×6歩[長さ]、半折型1段[面積]=30歩[長さ]×12歩[長さ]
木津荘 13・14条とその周辺
現在も、高島市新旭町では空中写真から条里制の名残を確認できる。実際に現地を歩くと、条里制の距離や面積を実感することができる。
新旭駅
主に、「木津荘の宗教景観」*2の「図1 木津荘検注帳に見える寺社の立地(288頁)」(以下、図1)を参考にして歩いてみよう。
山形
西宮大神社
条里の復元と応永二九(一四二二)年『木津庄寺領注進帳』の頭註にある2箇所の野神の坪
霜降
正伝寺
重要文化的景観「高島市針江・霜降の水辺景観」の霜降で、「高島市針江・霜降の水辺景観」は、市の中央部を流れる安曇川の伏流水を主な起源とした清らかな湧水によって形成された、多くの「カバタ」や複数の水路が存在する豊かな水辺景観です。
*3なのだが、知名度では針江の方が知られている感じがする。
霜降各所
針江の行者堂
森
藁園
藁園神社
深溝
針江
日吉神社
- *01 八日市市史編さん委員会『八日市市史 第一巻 古代』八日市市 1983
- *02 宮本晋平「木津荘の宗教景観」 水野章二/編『中世村落の景観と環境ー山門領近江国木津荘』思文閣出版 2004
- *03 全国文化的景観地区連絡協議会 https://www.bunkeikyo.jp/landscape/landscape-310 (2023.3.17)