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知恩院(2)

経蔵

経蔵

経蔵


経蔵

尾垂木周辺の組み物


知恩院

「智慧之道」。この石段は「一心院坂」とも。


影向石

紫雲水


影向石

紫雲水


一枚起請文

一枚起請文
建暦二年(1212年)法然が亡くなる直前に弟子の源智の要請によって書かれたもの。


一枚起請文
唐土我朝にもろもろの智者達の
沙汰し申さるゝ観念の念にもあらず
また学問をして念のこころを悟りて申す
念仏にもあらずたゞ往生極楽のために
は南無阿弥陀仏と申してうたがいなく往生
するぞと思い取りて申す外には別の仔
細候わずたゞし三心四修と申すことの
候うは皆決定して南無阿弥陀仏にて
往生するぞと思ううちにこもり候うなり
この外に奥ふかき事を存ぜば二尊の
あわれみにはずれ本願にもれ候うべし
念仏を信ぜん人はたとい一代の法をよ
くよく学すとも一文不知の愚鈍の身に
なして尼入道の無智のともがらに同じ
うして智者のふるまいをせずしてたゞ
一向に念仏すべし
証の為に両手印をもってす
浄土宗の安心起行この一紙に至極せり
源空が所存この外に全く別義を存ぜず
滅後の邪義をふせがんがために所存を
しるし畢んぬ
建暦二年正月二十三日 大師在御判

勢至堂

享禄三年(1530年)築で知恩院最古の建物。

「知恩教院」の扁額


勢至堂

勢至堂


勢至堂

勢至堂


位牌堂

知恩院

知恩院


知恩院

寶佛殿の阿弥陀如来坐像と同様に柏崎光西寺の藤井師が造った丈六の大仏の頭部だけがここに置かれている。


御廟

御廟

御廟


 

拝殿には木魚付き座布団が用意されている。


御廟

御廟


御廟拝殿

御廟拝殿からの眺め


千姫の墓
千姫は二代将軍秀忠の娘で豊臣秀頼へ嫁ぐ。
大坂夏の陣で救出され、後に本多忠刻と結婚する。


千姫の墓

墓


濡髪大明神

知恩院三十二世雄誉霊巌が御影堂を建てたために棲家を失った狐のために建てたと言われる。

濡髪大明神<

濡髪大明神<


なかなか厳しい御神籤。

濡髪大明神<

濡髪大明神<


社の背後には狐の出入り口。狐の棲家のはずだが、でも網で塞がれている。

濡髪大明神<

濡髪大明神<


大鐘楼

知恩院

知恩院


知恩院

知恩院


三門にプロジェクションマッピング

三門の楼上は時々公開されるが、釈迦如来坐像に十六羅漢像などと、迦陵頻伽などが描かれた天井や梁は素晴らしい。

知恩院

知恩院


ムクロジの木

ムクロジの実は数珠にも使われたらしい。

知恩院

知恩院