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金屋頭首工

頭首工とうしゅこうとは、河川から農地へ水を取り入れる取水堰や取水口の設備のこと。
犬上郡甲良町金屋にあるので金屋頭首工だが、初めて聞くと意味不明。

金屋頭首工

金屋頭首工


金屋頭首工

昭和七年(1932)の夏は大旱魃で、「犬上川騒動」と言われる水争いの争論が起こった。約400名の人々が竹槍を持って一ノ井堰を挟んで対峙し石合戦が始まったため警官隊が230名ほど出動し鎮圧した。これを契機に一ノ井・二ノ井の合同井堰として金屋頭首工が建設され、更に抜本対策として犬上川ダムが建設された。


楢崎古墳群

犬上川左岸に広がる後期~終末期古墳群。

楢崎古墳群

楢崎古墳群


楢崎古墳群

楢崎古墳群


楢崎古墳群

楢崎古墳公園として整備されている一号墳は横穴式円墳。


天徳院高源寺

山門は佐和山城裏門を移設したもの。


高源寺

高源寺


大瀧神社

大瀧神社

大瀧神社


大蛇の淵:大蛇とは暴れる川そのものだろう。

大瀧神社

大瀧神社


大瀧神社

大瀧神社


大瀧神社

大瀧神社


大瀧神社

大瀧神社


大瀧神社

大瀧神社


大瀧神社

犬上神社の元社稲依別命が小石丸の首を鎮めたと言われる


祭神は高龗神(たかおおかみ/たかおかみのかみ)、闇龗神 (くらおおかみ/くらおかみのかみ)、水分神。高は山、闇は谷、龗は龍のことで、闇龗神は『古事記』では闇淤加美神と記されている。伊邪那岐命と伊邪那美命の「神産み」の最後に迦具土神が生まれるが、この火の神を産んだため伊邪那美神者、因生火神、遂神避坐也。と伊邪那美命は死んでしまう。怒った伊邪那岐命は拔所御佩之十拳劔斬其子迦具土神之頸と十拳劔で迦具土神を殺してしまう。集御刀之手上血。自手俣漏出。所成神名。〈訓漏云久伎。〉闇淤加美神(淤以下三字以音)と刀に付いた迦具土神の血から闇淤加美神が生まれた。

大瀧神社

大瀧神社


本殿
上の説明にあるように棟木などに寛永十五年(1638年)と記されている。徳川家光の下知で造営された近世初期の建立。
檜皮葺の 一間社流造で間口一間四尺、奥行一間四尺と正方形。

大瀧神社

大瀧神社


大瀧神社

大瀧神社


象頭形の木鼻

大瀧神社

大瀧神社


大瀧神社

本殿に向かって右側にある犬上神社
祭神は古代豪族犬上君の祖とされる稲依別王(いなよりわけのみこ)。下に書いた犬上郡名起源伝承だと忠犬小石丸を祀っていることになる。


拝殿

平成十二年(2000年)に奉納された湯立釜。


大瀧神社

大瀧神社


冨三稲荷神社

 


大瀧神社

大瀧神社


大瀧神社

膳所藩士寒川辰清が編修し享保十九年(1734年)成立した『近江輿地志略』巻之七五に犬上郡の名の起源の伝説が載っている。
昔この辺りに狩人が住み犬を飼い狩りをしていた。ある時、大樹の下で休憩していると犬が狩人に激しく吠えかかり、眠ろうとするとますます吠えて飛びかかり衣服に噛みつき引っ張った。狩人は怒りに耐えきれず剣を抜いて犬の首を切った。すると犬の首は樹上に飛び上がり大蛇の喉に噛みつき、大蛇と共に落ちて死んだ。狩人は驚き犬の忠死に深く感謝し社を建て祀った。犬の名を小石丸といい、これから犬神もしくは犬咬が転じ犬上の郡名がうまれたとされる。また、この狩人は『古事記』の稲依別王で大瀧神社境内社の犬上神社に祀られている。犬上川の対岸には小石丸の首を鎮めた小祠があり、犬上神社の元社とされる。大瀧神社の参道入口にある犬胴松は、小石丸の胴体を葬った塚に植えられたものとも、大蛇が稲依別王を狙った大樹であるとも伝える。
Cf. 稻依別王『古事記』中卷「景行天皇、倭建命、成務天皇」によるとヤマトタケルと近江の安(やす)国造の祖先意富多牟和気(おほたむわけ)の娘・布多遅比売(ふたじひめ)との間の子で、此倭建命、…又娶近淡海之安國造之祖意富多牟和氣之女・布多遲比賣、生御子、稻依別王。と記され、稻依別王者、犬上君、建部君等之祖。稻依別王は犬上君や建部君の祖としている。


大瀧神社

犬胴松塚
小石丸の胴体を葬った塚に植えられた松という事だが、枯れてしまったのかほぼ切株部分だけ残っている。


大瀧神社

大瀧神社