長浜(1)
慶雲館
慶雲館の西端に建っている石碑。
つまり、ここから左は海だったという事。港と長浜駅が隣接していることになる。
慶雲館は1887年(明治20年)に明治天皇が京都で行われた孝明天皇御式年祭の帰りに太湖汽船から鉄道に乗り換える待ち時間に滞在する場所がないという事で、浅見又蔵という長浜の実業家が大急ぎで造らせたもの。
まだ東海道線は全通しておらず、東海道線は西は神戸から大津まで、東は新橋-横浜間のみだった。しかし金ヶ崎(敦賀)-(愛知県の)武豊間は開通していた。太湖汽船はこの時点では長浜と大津を結ぶ鉄道連絡船としての役割を担っていた。
ここらの歴史は、このページの下の「長浜鉄道スクエア」の展示で詳しく紹介されている。
高さは5メートル近い巨大石灯籠。
二階に明治天皇夫妻が座った椅子が純和室に微妙にマッチして置いてある。天井から下がっている照明の北野天満宮風梅マーク入りガラスシェードが可愛い。
庭園は七代目小川治兵衛(1860年-1933年)の作。この人は、無鄰庵、並河靖之七宝記念館等々を作庭した。
一見、池泉回遊式庭園に見えるが、池に水はない。一時期、水をはっていた時期もあったそうだが、水のない状態が正しい姿だそう。
長浜盆梅展
盆梅のお雛様
ピンバッジにもなっている「不老」
長浜鉄道スクエア
現在の橋上駅の長浜駅もこの最初の駅舎を模しているのがわかる。
我が家ではプランターとして使っているが、本来は火鉢台であることを確認。
江若鉄道の路線図。未成線が破線で書いてある。
大通公園
長浜別院 大通寺
表参道から見た山門。
大広間。伏見城の遺構を移設したものというが、恐らく立ち入れない一段高くなっている部分だけだろう。
含山軒(がんざんけん)と庭園。庭園は伊吹山を借景としている。
玄関の屏風。
大手門通りなどは結構賑わっているのだが、このお寺をちゃんと拝観しようとする人は意外と少ない。
見るに値する物は多いのにもったいない事だ。
長浜西別院
浄土真宗でも、大通寺は大谷派だが、こちらは「西」が付くから?本願寺派。
豊国神社
これが歌碑
鳥居の扁額には「豊国大神」
面白い造りの拝殿。向拝の屋根だけ檜皮葺。
江戸時代になり徳川氏の世の中になると、豊臣家や秀吉のことを表立って崇拝することはさすがにはばかられました。(中略)寛政4年(1729)11月に、長浜八幡宮の御旅所が建てられたのを契機にその一角に堂を建て、翌年には長浜八幡宮にあった蛭子神をここに遷して蛭子社を勧請したのです。実は、その蛭子社は表の神様で、その奥には秀吉が祀られていたのです。
(豊国神社十日戎とえびす講:http://www.city.nagahama.shiga.jp/section/rekihaku/shishi/himotoite/vol_08/)。
東隣の出世稲荷神社