鈴聲山 真正極楽寺(真如堂)
三重塔
真如堂といえば、どうしてもまず三重塔となってしまう。すぐ南にある金戒光明寺の三重塔の方が目立つ場所に建っているのだが、何故か、この塔が好きだ。
本堂
鐘楼
本堂裏の石塔
たてかわ桜
木食正禅造立の銅製阿弥陀如来坐像
墓地への入口に立つお地蔵さん。
県井観音
赤崎弁天
元三大師堂
真正極楽寺は、戒算が永観二年(984)に比叡山常行堂にあった阿弥陀如来像を移して開いたとされる左京区浄土寺真如町にある天台宗の寺。
下巻に大永四年(1524)八月一五日の奥書がある『真如堂縁起』三巻によると、戒算が常行堂の阿弥陀如来像から女人済度の夢告を受け、神楽岡の東三条院(円融天皇の女御、一条天皇の母)の離宮に遷したのが始まりという。応仁・文明の乱で堂宇が焼失し、乱の終息後は京都の現市街地を転々とさせられたことが、一条西洞院と新町の間の元真如堂町、寺町今出川東南の真如堂突抜町と真如堂前町、烏丸二条東南の真如堂町といった町名からうかがえる。
新長谷寺
鎌倉地蔵
真如堂宝物虫払会
毎年7月25日に行われる。所有する掛け軸などを本堂にぐるっと下げて虫干しする。
『真如堂縁起』(公開されるのは写本)や『寒山拾得』など、当寺所有の寺宝約200点を本堂にて土用の風を通して虫干します。
(真如堂のWebサイト行事ページより)
また、『安倍晴明蘇生之図』を前に、『結定往生印』を直接授与するコーナーもあります。
暑気払いの「枇杷湯」の無料接待もあります。
なお、雨天の場合は中止します。 寺宝に涼風 真如堂で虫払会
京都市左京区の真如堂で25日、蔵で保管している巻物などを虫干しする「宝物虫払会(むしばらいえ)」が行われた。日中の気温が35度を超す猛暑の中、参拝者は風が通り抜ける本堂で貴重な寺宝に見入っていた。
毎年恒例の行事で、日曜と重なった今年は例年の倍近い約680人が訪れた。
本堂には鎌倉時代から現代までの作品約250点が並べられ、室町時代に描かれた「真如堂縁起」の写本などの前では僧侶が由来や内容を説明していた。すだれのようにつるされた掛け軸が風に揺れ、訪れた人たちは振る舞われたビワ茶を味わいながら、夏のひとときを過ごしていた。
(京都新聞より、http://www.kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20100725000091)
堂内は撮影禁止なので、外から覗き見する感じの写真しか撮れない。
結定往生印。本堂左奥の安倍晴明蘇生之図の前に座っておられる貫主に真言を唱えていただき、金印を頭に押していただき?(自分の頭なので見えない)、この印紋をいただく。500円。こういう有り難いものを人目に晒してしまうと効力が無くなってしまうだろうか?
『真如堂縁起』によると、一度は死んだ安倍晴明が閻魔大王の前に連れてゆかれた時、真如堂本尊の脇立である不動明王が現れ、閻魔大王に蘇生させるように頼んでくれたので生き返ったという。その時、閻魔大王は安倍晴明に五行之印を授けたという。晴明神社の神紋でもある五芒星の五行之印が不動明王が安置されている真如堂に(多分、安倍晴明の死後に)納められたということなのだろうが、仏教寺院と陰陽道が融合したこの行事は、平安時代後期から中世の雰囲気を感じさせて興味深い。
向井去来の墓
蕉門十哲の一人、向井去来と言えば嵯峨の落柿舎だが、真如堂の墓地にお墓があった。
落柿舎の後ろにもお墓があったなと思ったら、「遺髪を納めた
」(http://www.rakushisha.jp/i)ものだった。
向井家の墓といった感じで、向井の名を刻んだ墓標が並ぶ。