木之本町川合
異高山専覚寺
稲荷社・金比羅社
木之本宿
江北図書館(こほくとしょかん)
私立の図書館
余呉出身の弁護士杉野文彌が明治三五年(1902)に余呉の中之郷に設立した杉野文庫が前身。その後、木之本へ移転し明治四〇年(1907)財団法人江北図書館となり、昭和一二年(1937)に旧江北銀行の建物へ移転。昭和五〇年(1975)に現在の伊香農業協同組合の建物へ移転した。
資金面で運営が大変なのは容易に想像できる。ボランティアの方々が交替で出勤している。
旧飯福寺、己高閣・世代閣
木之本町古橋
このページの寺々は東の己高山(こだかみやま)にあった寺との関係で見てゆく必要がある。
己高山にあった寺については、己高山山岳寺院の調査や、近江己高山・近江己高山観音寺跡・近江己高山及び一山諸廃寺に詳しい。
これだけの規模の寺院群が存在し、消えてしまったという事だけで十分に興味をそそられる。
旧飯福寺
木之本町古橋
紅葉の名所としては「鶏足寺」として知られている。己高閣・世代閣から、石道寺も含め遊歩道が整備されている。
「近江己高山・近江己高山観音寺跡・近江己高山及び一山諸廃寺」の飯福寺伽藍伽藍配置図にあるように、左右に僧房跡の岩組みが続いている。
本堂と護摩堂は21世紀ゼロ年代に建て直されたのだろう。中を見ることは出来なかったが真新しい建物。
旧戸岩寺と興志漏神社(よしろじんじゃ)
興志漏神社は神仏分離令で独立してしまったが、恐らくそれまでは戸岩寺と一体となった神仏習合の形態だったのだろう。ただ、「近江己高山・近江己高山観音寺跡・近江己高山及び一山諸廃寺」に書かれているように戸岩寺の単なる鎮護社ではなく村の氏神様としてそれなりの扱いはされていたのではないだろうか?
薬師堂。興志漏神社拝殿の手前、右側にある。
大日堂。これも薬師堂の手前にある。
鐘楼。薬師堂の手前にある。
己高閣・世代閣(ここうかく、よしろかく)
興志漏神社の右手にあり、己高閣は鶏足寺にあった十一面観音などを収蔵している。
己高閣の後ろにある世代閣は戸岩寺にあった薬師如来像などを収蔵している。ちょっと顔にしまりがない薬師如来だった。他に地獄絵や浅井長政の書簡、お市の方が寄贈した屏風など。
「一時は農薬のせいで減っていたんですがね。最近はそれほど強い農薬を使わなくなったので、また、沢山咲くようになってきたんですよ。」
石道寺
木之本町石道
本尊の十一面観音像は口紅が赤いまま残っている。女っぽいと言うか、ちょっとおばさんっぽい顔立ち。
木之本町石道の野神さん
尾山の白山神社
高月町尾山
瓢箪塚古墳
高月町洞戸
左の写真の説明では、6世紀中葉築造の全長30m以上の前方後円墳。
持寺の白山神社
高月町持寺
野神祭の時の持寺の人々の集合場所
すぐ西隣には薬師堂がある。
元々同じ境内にあった寺と神社の参道を分けたのは、当然神仏判然令に拠るのだろう。
大海道遺跡(おおかいどういせき)
高月町保延寺
昭和49年に発見された尾山・持寺・保延寺にまたがる弥生集落から平安時代までの複合遺跡。
- *01 日本荘園データベースの検索結果(詳細)
https://www.rekihaku.ac.jp/up-cgi/getdocrd.pl?tn=2&ti=2111002&h=./history/w11565334545_25094&ch=2&p=param/soue/db_param&o=1&k=20&l=&sf=0&so=
2019.8.9確認 - *02 「ムラの戸籍簿」データベースの検索結果
https://drfh.jp/mura/index.php?title=%E8%BF%91%E6%B1%9F%E5%9B%BD#.E4.BC.8A.E9.A6.99.E9.83.A1
2019.8.9確認 - *03 滋賀県神社庁
http://www.shiga-jinjacho.jp/
2019.8.9確認 - *04 『新撰姓氏録』氏族一覧
http://kitagawa.la.coocan.jp/data/shoji.html
2019.8.9確認