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瀬田の唐橋、建部大社

2011年1月・2015年9月・2023年3月

瀬田の唐橋と龍王宮秀郷社

Seta

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左岸(西側)にある明治七年(1874)開設の鳥居川水位観測所。ここの量水標の零点高が琵琶湖水位の基準高となると書いてある。

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Mystの世界。

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擬宝珠の施工者、鋳造者は新旧色々。

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瀬田の唐橋は塗装色が変わる話があるので、2011年年初の状態を記録しておいた。
広重近江八景国立国会図書館デジタルコレクション

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塗り替えられてこうなった。

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右上の瀬田橋での出来事に若干追記して略史を作ってみた。

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右岸(東側)にある唐橋流心水質自動観測所。

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東詰めの両側には常夜燈が立つ。

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東詰めの信号を渡ったところには田上の太神山不動寺への道標

 


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道標に従って龍王宮秀郷社へ。


瀬田橋竜宮(龍王宮秀郷社)

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取水鉢の龍が4年の間に増殖していた。

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金毘羅宮

拝殿


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右上の縁起は写真ではよく読み取れないが、
勢多之唐橋 龍宮 古来瀬田川には龍神が御座ると言はれて、昔は橋を社とした。唐橋中央に特殊な橋クイが打ち込んであって、是を龍神の御霊代とし舟はこの神座を通るのを恐れた。唐橋は神橋の転化である。西暦1440年頃、佐々木近江守が蛍谷に在った橋を現在の処へ架替えた時、工事中水底の龍神を遷座する権殿として此の社が設けられた。以来橋架替え大修理の都度、龍神を権殿に遷座する慣例が行われた。時代の推移はいつしか権殿が本宮になった。
と書いてある。


Seta

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祭神は、大神霊(オーミタマ)龍王と藤原秀郷。
藤原秀郷(俵藤太)が、この龍神の頼みで三上山を七巻半する大ムカデを退治した伝説は有名だが、そのお礼に龍神からもらったものの中に赤銅の鐘があり、これは三井寺の「弁慶の引摺り鐘」という事になっている。


建部大社たけべ

 
建部大社

 
建部大社


Takebe Shrine

Takebe Shrine


当社は、古来建部大社、建部大明神と称え、延喜式内名神大社に列し、又近江国一ノ宮として朝野の崇敬篤く長い歴史と由緒を持った全国屈指の古社である。(右上、御由緒の冒頭)
ただ、文化財は少なく観光的?には面白みが少ないところ。白州正子さんならば重文の木造女神坐像に興味を持たれたかもしれない。


Takebe Shrine

Takebe Shrine


 
建部大社

 
建部大社

Takebe Shrine

Takebe Shrine


 
建部大社

 
建部大社

 
建部大社

 
建部大社

 
建部大社

 
建部大社

 
建部大社

 
建部大社

 
建部大社

 
建部大社

 
建部大社

 
建部大社

 
建部大社

 
建部大社

 
建部大社

 
建部大社

 
建部大社

 
建部大社

 
建部大社

 
建部大社

国の重文 鎌倉時代の石灯籠
建部大社

 
建部大社

八柱社
建部大社

 
建部大社

菊花石
建部大社

 
建部大社

さざれ石
建部大社

 
建部大社

大野神社

 
建部大社

縁結びの神となっている!!!
建部大社

 
建部大社

 
大野神社の祭神は草野姫命。『日本書紀』の次生草祖草野姬、亦名野槌のこと。地主ノ神ニシテ天平勝宝七年建部大神ヲ大野山ノ麓廣庭ニ遷座ナリシ以前ヨリ此地ニ鎮座ノ神ナリ其創立年月不詳〔滋賀県立公文書館デジタルアーカイブ神社明細帳No.3 編次2(明-す-1)〕

桧山神社遙拝所
建部大社

7箇所の山神社を合祀したという。
建部大社