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観音正寺、観音寺城跡と桑実寺

2011年6月

繖山観音正寺(きぬがささんかんのんしょうじ)

繖山の南の麓、石寺から登る。ここは観音正寺への参道である赤坂道と観音寺城本丸への大手道への出発点となる。
もっとも、現時点では一番深い谷を上がる大手道と伝本丸とをつなぐ部分の道は見付かっていないようだ。
繖山のこちら側には東山道が通っていて、それを見下ろすように城が造られていた。石寺は滋賀県安土城郭調査研究所のサイトによると、観音寺城の城下町があったとされ、今でも郭状の平坦地と石垣が広がっており、家臣団屋敷の跡ではないかと考えられています。
(http://www.pref.shiga.jp/edu/sogo/kakuka/ma16/kannonjijo/index.html)という事で楽市もあったとか。それに因んだ石寺楽市という施設がある。

Kannonshoji Temple

Kannonshoji Temple


左上の写真は家並みを外れて山道に入りかかった辺りだが、「景清道」と「石寺古墳群」と書かれた案内が立っている。
景清道は滋賀県安土城郭調査研究所のサイトによると、
この道は平景清が尾張から京都へ行く時に通った道といわれていますが、石寺から常楽寺(現蒲生郡安土町常楽寺)方向への抜け道です。この景清道沿いに郭が広がっており、かつて多数あった観音正寺の坊跡と考えられていますが、今では教林坊が現存するだけです。
(http://www.pref.shiga.lg.jp/edu/sogo/kakuka/ma16/kannonjijo/index.html)との事。五個荘金堂を通り抜けているのは確認した。
平景清は平家物語では屋島の戦いでの錣(しころ:兜のヘルメット部分から頭の左右、後部に下がっている部分)引きで有名な武将だが、壇ノ浦の合戦ののち行方不明になった謎の人物。その景清が目の恢復か平家の再興を祈願して尾張から清水寺に通った関所をすり抜ける道だという。なぜ尾張にいたのかもわからないが、城の麓を抜けるとは大胆すぎるが、鎌倉時代初めに既に観音寺城があったという根拠は無さそうなのでよしという事だろう。一説には、寄寓していた近江八幡市中村町に現存する旅庵寺(このお寺が豊臣秀次築城以前の鎌倉時代初期に既に存在していたのかは未確認)から眼病の恢復を祈願するため、桑実寺の薬師如来に日参した道だという。これなら距離的には不可能ではないが、近江八幡から桑実寺へ行くのに、ここを通る必要はない。
こんな具合に平景清は伝説が多い人物だが、能には「景清」がある。熱田の遊女との間に生まれたという景清の娘が鎌倉から日向に流された父をたずねて行き、盲目の乞食となった父と再会、父から屋島の戦いの話を聞いた後、分かれて一人帰るという悲しい話。最後の「この世はとてもいくほどの 命のつらさ末近し はやたち帰り亡き跡を 弔い給へ盲目の 暗きところのともし火 悪しき道橋と頼むべし さらばよ留まる行くぞとの ただひと声を聞き残す これぞ親子の形見なる これぞ親子の形見なる」の別れの辛さ、悲しさは蝉丸のキリ(ラストシーン)と並んで泣けてしまう終り方だ。
なお、平景清が登場する能としては、他に「大仏供養」もある。
一方、石寺古墳群はもう少し西の竜石山古墳群を指しているのだろうか?竜石山は繖山から南西に連なった山らしい。この北西側、桑実寺の南にも瓢箪山古墳がある。

Kannonshoji Temple

右上は日吉神社、直進は赤坂道、大手道?、左に曲がると天満宮。


天満宮への道。

右に曲がり石段を上がります。


Kannonshoji Temple

Kannonshoji Temple


「御屋形跡」の札が立っているが、六角氏の居館があったという場所。立っていた地図によると、ここから本丸へ登る道もあったらしい。

天満宮は比較的地味。


Kannonshoji Temple

Kannonshoji Temple


Kannonshoji Temple

Kannonshoji Temple


「御祭神勧請年代詳ならず」だが、観音正寺の鎮護社として勧請されたのだろう。観音正寺は現在は単立寺院だが明らかにかつては天台宗の寺院だった。従って、日吉社が勧請されているのは自然に思われる。なお、天満宮はここの境内社の扱いになっている。

Kannonshoji Temple


Kannonshoji Temple

観音正寺へ向かって石段を登り始めます。


Kannonshoji Temple

Kannonshoji Temple


参道の左右には多くの石仏を見かける。

いかにも城跡といった石垣。実は僧坊跡だったりして…


Kannonshoji Temple

Kannonshoji Temple


 

途中、視界が開けた場所からの眺め。
三上山が正面に見える。


Kannonshoji Temple

Kannonshoji Temple


観音正寺に到着。

岩間寺と同様に仁王門はない阿吽の仁王像。


Kannonshoji Temple

Kannonshoji Temple


 

北向地蔵尊。


Kannonshoji Temple

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「濡仏」と呼ばれる釈迦如来坐像。


Kannonshoji Temple

Kannonshoji Temple


Kannonshoji Temple

Kannonshoji Temple


観音正寺は聖徳太子が前世で漁師だった人魚に頼まれて千手観音を刻み祀ったのが始まりだそうで、以前は人魚のミイラというのが本堂にあったそうだが、本堂が焼けたときに失われてしまったそうだ。
湖南、湖東には長命寺、百済寺、石塔寺など聖徳太子が出てくる寺が幾つもあるが、この辺りに朝鮮半島などからの渡来人が多かったことと関係がありそうな……聖徳太子は(実在したとすると)秦河勝など渡来人系を重用し、仏教も含め朝鮮半島、中国の文化の受け入れに対し開放政策派だった事が関連しているのかも。


白蛇大明神。

 


Kannonshoji Temple

Kannonshoji Temple


Kannonshoji Temple

本堂へ向かって右側には太子堂、護摩堂、…と建物が連なっている。


観音正寺は現在は単立の繖峯修験道の寺となっています。寺のWebサイトには観音正寺「千日参り」と、天台寺門宗三井寺讚讃  繖峯修験道復興十周年採燈大護摩供のご案内が載っていて平成二十二年八月十八日に行われたらしい。回峰行と言えば比叡山とイメージだけどこの寺は寺門派と近いのかな?

Kannonshoji Temple

Kannonshoji Temple


観音正寺は西国三十三所の三十二番札所。三十番が竹生島の宝厳寺、三十一番は長命寺、観音正寺の次は三十三番谷汲山華厳寺でめでたく結願。
実は近江国には十二番岩間寺=>十三番石山寺=>十四番三井寺と一旦入っているのだけど、十五番は京都(山城)の今熊野観音寺で、その後、丹波=>摂津=>播磨=>丹後と巡って再び竹生島に戻ってきます。

Kannonshoji Temple

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本堂の右側の石だらけの庭園?脇から登ることが出来そうだけど、実際に上に上っている人は見かけなかった。

Kannonshoji Temple

Kannonshoji Temple


魚藍観音(ぎょらんかんのん)。 唐の時代に魚を売って歩いて仏法を広めた女性が観音だったという話が由来の観音様で、三十三観音の一つ。己高閣でも見た記憶が…

太子堂の裏あたりにある石塔。


Kannonshoji Temple

Kannonshoji Temple


Kannonshoji Temple

この石段を登ってもよかったのでしょうか?


本堂。

本堂へ向かって左側にある宝篋印塔。


Kannonshoji Temple

Kannonshoji Temple


現在の本堂は、彦根城の槻御殿(玄宮園・楽々園)の一部を明治時代に移築した本堂が平成五年(1993年)に焼失し、平成十六年(2004年)に再建されたもの。
新しいご本尊は白檀でつくられ、丈六にちょっと足りない高さのようだが、座って拝むと目の前に大きな顔があるのが親しみやすいと言うか不思議な感じ。本当の壇像で丈六に近い大きさの仏像というのは極めて珍しい。


 

裏参道のねずみ岩。どうもそうは見えませんが…。


Kannonshoji Temple

Kannonshoji Temple


裏参道を奥の院へ。裏参道の方が歩きやすそうだが時間はかかるようです。

Kannonshoji Temple

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奥の院入口。アルミの戸が閉まっていたのでここまで。お寺の奥の院に鳥居というのが良いところ。巨石信仰の雰囲気濃厚です。

Kannonshoji Temple

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