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飯室谷

2011年7月

横川から飯室谷へ

横川から中尾坂を下り飯室谷へ向かいます。かなりの急坂で下りも大変です。

何か建物があった気配の岩組。


Kannonshoji Temple

Kannonshoji Temple


途中にある祠の仏像は…


Kannonshoji Temple

Kannonshoji Temple



飯室(いむろ)谷不動堂

Imuro

飯室谷不動堂は根本中堂、釈迦堂、横川中堂、無動寺明王堂と並ぶ延暦寺五大堂の一つ。
現在の不動堂は千日回峰行を2度満行した酒井大阿闍梨の拠点としての位置づけの方が大きい。


不動堂の本尊は当然不動明王。

Imuro

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千手堂(八角堂)は酒井大阿闍梨の発願により1994年に建立されたそうで。


拝殿。1992年完成。


Imuro

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不動滝

加行之滝。
右の像は箱崎文應大和尚。
比良八講の再興に貢献した酒井大阿闍梨の師。


Imuro

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閼伽井


Imuro

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天台比良修験道は近江舞子の比良八講を行う。法華経を八巻講ずるので八講と言います。


Imuro

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松禅院

Imuro

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天台第十九代座主慈忍和尚のお墓。
元三大師良源の弟子で恵心僧都源信とは兄弟弟子の関係。死後、毎晩一眼一足の妖怪となってさぼっている僧侶を見つけると鉦を叩いて下山せざるを得ない様にした(つまり、追い出した)という。
それで比叡の三魔所の一つにしてしまうのでは反省の色がうかがえないな。

Imuro

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Imuro

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苔むした杉の巨木は幽暗な雰囲気を醸し出しているが、夏の日中には涼しくて有難い。

手前右の道を行ってすぐ左に安楽律院への上りがある。左の橋を渡ると不動堂、まっすぐ行くと中尾坂(元三大師道)。


Imuro

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安楽律院

Anraku-rituin Temple

Anraku-rituin Temple


 

上ったと思ったら、一旦石段を下る。


Anraku-rituin Temple

Anraku-rituin Temple


Anraku-rituin Temple

Anraku-rituin Temple


Anraku-rituin Temple

Anraku-rituin Temple


昭和二十四年(1949年)に放火で焼失してしまった。現在の建物はその後に建てた仮のものだろう。
安楽院としての歴史は古いようだが、江戸時代の安楽騒動で知られる。妙立慈山、弟子の霊空光謙などが僧の戒律復興を主張した。霊空は1693年第五代輪王寺宮、天台206代座主の公辨法親王(こうべんほっしんのう)より安楽院を四分律兼学の律院として与えられ、安楽律と称し改革を進めた。しかし、天台208代座主の公啓法親王により兼学律が停められ、安楽院住持には安楽寺派を批判していた円耳が就いた。1765年、泰巌ら安楽寺派7人の僧が脱衣追放の刑に処せられた。1782年、幕府により今度は円耳が追放される。兼学律復帰となり安楽寺派が復活した。以後、幕府は兼学律に反することを禁じたが、安楽寺も律受学を強要しなかった。以後寺勢は次第に衰えた。とドロドロした安楽騒動ではありました。でもこの問題は現代にも通じるところがある。

現在の本堂。阿弥陀三尊像のはずだが、覗いてみると脇侍の姿はなかった。

Anraku-rituin Temple

Anraku-rituin Temple


Anraku-rituin Temple

Anraku-rituin Temple


Anraku-rituin Temple

Anraku-rituin Temple


Anraku-rituin Temple

Anraku-rituin Temple


Anraku-rituin Temple

Anraku-rituin Temple


藤原定家の歌碑(左)と爪塚(右)。

Anraku-rituin Temple

Anraku-rituin Temple


Anraku-rituin Temple

石仏など石造りのものだけが残っている。
昔のことはともかく、延暦寺がここの復興に力を入れてくれると良いのだけど…


Anraku-rituin Temple


Anraku-rituin Temple

Anraku-rituin Temple


Anraku-rituin Temple

Anraku-rituin Temple