西教寺
天台真盛宗総本山戒光山兼法勝西教寺。創建の時期は正確には判らないようだが、西教寺のWebサイトでは「聖徳太子が恩師である高麗の僧慧慈、慧聡のために創建された」と書いてある。延暦寺の山門派、三井寺の寺門派と並ぶ天台真盛宗の本山。
道路の向かい側にある塔頭安養院前より総門。
宗祖大師殿唐門前より琵琶湖の眺め。
宗祖大師殿
宗祖大師殿唐門。
唐門の彫刻。
天台真盛(しんせい)宗総本山の西教寺(大津市坂本5丁目)境内にある宗祖大師殿の唐門の修復が、このほど完了した。唐門は国の登録有形文化財で、1917(大正六年)年に造られた。高さ約8メートル、檜皮(ひわだ)ぶき、入母屋(いりもや)作り、間口4・2メートル。龍や獅子、サルなど多彩な彫刻で飾られている。
京都新聞 2010年01月19日
(http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2010011900047&genre=J1&area=S10)
門扉のマーク。お寺のデザインとは思えない。
これは西教寺の「西」らしい。
総門から入った正面の勅使門。
本堂
本堂の破風、瓦。
鐘楼
本堂から紐で鐘楼の鐘を突く事が出来るらしい。
客殿
客殿の襖絵は撮影禁止。
杉戸絵も良いが一部は薄くなってしまっている。
客殿の庭園。
戒光山兼法勝西教寺の「兼法勝」が示すように岡崎法勝寺の寺籍が移された。
明智光秀の供養塔など。
萬日供養塔
西教寺は真盛が「不断念仏の道場とされました」と書かれているが、一般的な「不断念仏」は一昼夜とか期間を区切って行われる別時念仏。この寺が凄いのは、いつも本堂で念仏を称えている僧侶がいること。もちろん交代制なのだろうが、果たして夜も続いているのだろうか?
そういう背景があるから、室町時代の一四九三(明応二)年、坂本で一揆が起こった時、宗祖の真盛(しんせい)上人が首謀者だと勘違いした比叡山の僧兵たちが同寺に攻め入った。しかし、境内には人影がない。静寂の中、鉦の音だけが聞こえる。僧兵たちが本堂に駆け込むと、手が白い一匹の猿が、真盛上人の代わりに鉦を叩いていた。猿は近くの日吉大社の使者とも考えられていた。「不断念仏の教えは猿にまで徹底されているのか」。恐れ入った僧兵たちは、そのまま立ち去った-。
(http://www.kyoto-np.co.jp/info/sightseeing/mukasikatari/080227.html 2014/11/11確認)という伝承があるのだろう。
真盛(しんせい)上人の御廟。
真盛(1443年~1495年)は三重県津市(伊勢国一志郡)出身の僧。比叡山西塔や黒谷青龍寺を経て、1486年に西教寺へ入り戒称二門(大乗円頓戒と称名念仏)の根本道場とした。簡単に言えば、戒律と念仏両方を重視している。