深大寺
2011年8月
本堂
常香楼。
屋根の四隅の先には金色の鳳凰が付いている豪華なもの。当初は元三大師堂前にあった香炉の上屋だったが、火災でこの部分だけ焼け残った。
以前このあたりにあった常行堂の本尊だった宝冠阿弥陀三尊像が本尊。
常行堂は常行三昧行を修するところで、常行三昧行はお堂の中心の阿弥陀像の周りを念仏を唱えながら90日間回り続けるという行。
天台密教の雰囲気がムンムンだが、中を拝観することはできない。ここらは普通の参拝者に見せるのと異なった世界が秘められていることをうかがわせる。
五大尊池
ムクロジの木
そば守観音。もりそば観音ではない。
観音信仰の中で全国唯一だろう。
右手にそばつゆ、左手には蕎麦の実。
水子地蔵ではないお地蔵さん。
これも聞き慣れない観音様。
六畜は馬、牛、羊、犬、豚、鶏。
なんじゃもんじゃの木。
中村草田男の歌碑。万緑の中や 吾子の歯 生え初むる
さて「吾子」とは、娘四姉妹のどなたのことでしょう?
奥は高浜虚子の像と歌碑。
姫観音。これも珍しい観音様
山門から元三大師堂へ
元三大師堂
慈恵大師良源は985年(永観3年)正月三日に亡くなったので元三大師とも呼ばれる。比叡山から移されたという像の高さは196.8cmもあるのだそう。江戸時代以降、庶民の深大寺参拝はこの元三大師堂が中心だった。第十八代天台座主良源が信仰の対象となったのは、◇元三大師信仰
良源の超人的な活躍は、権化の人・応化仏(仏や菩薩が衆生救済のため相手に応じていろいろな身体を現すこと)とも考えられ、観音菩薩の権化と捉えられています。その一方で仏法擁護のため魔界の棟梁となったとか、平清盛は良源の生まれ変わりだとも言われ、人々を救い、仏法を助ける強烈な霊力を持った存在と映ったようです。こうした良源への信仰は、外敵を調伏する力を持つと考えられ、鎌倉時代以降たくさんの良源像(彫刻や絵画)が作られました。良源をまつる法会も盛んに行われます。また良源像を摺って、家の入り口に貼っておくと魔除けになるという信仰も早くからうまれ、現在の「角大師」の札に通じます。また近世に入ると、観音籤と呼ばれるおみくじが盛んになりますが、良源の本地が如意輪観音と考えられたことから、元三大師信仰と一体となって広まりました。
(大津市歴史博物館 http://www.rekihaku.otsu.shiga.jp/news/0905.html)から。
菩薩と崇められた僧は行基など他にもいるが、良源に特に不思議な霊力があると信じられていた事が角大師の姿からもうかがえる。
元三大師堂前の樹の根本には石仏がぐるりと置いてある。
六地蔵。
千手観音。
角大師。
元三大師堂への石段を上がったところ左右にある石灯籠。
片隅には白山神社。白山、稲荷、山王を合社したと書いてある。白山権現は白山信仰の白山比咩神社、伏見稲荷、山王権現は比叡山坂本の日吉大社と有名どころを揃えている。
開山堂
1983年(昭和58年)に建てられた。薬師三尊像と、深大寺開基満功上人そして天台宗第一祖、
(http://www.jindaiji.or.jp/about/history_04.php)。左端が恵亮和尚、右端が満功上人だそうです。
開山堂の前にある石灯籠。延宝九年は1681年。東叡山と書いてあるので上野の寛永寺から持ってきたのか?寄進かな?
開山堂の北の道を西へ行くと、神代植物公園の深大寺口がある。
両側のフェンスが無粋だが、緑が気持ちよい道。