谷汲山華厳寺
西国三十三番満願霊場
寺の草創は桓武天皇(737-806)の延暦十七年(798年)で開祖は
「岩穴より油が滾々と湧き出し」という部分が興味を掻き立てられるけど地中から石油が滲み出していたのかはわからない。タール状のものが地表にあった事は考えられなくもないが…。
【雑学:灯油の歴史】
平安時代初期の燈明用油は、
・椿油
・荏胡麻(エゴマというシソ科植物の葉から採る):平安時代末期から興ったと思われる大山崎の油座で有名、
・菜種油:江戸時代に広がったもので、ここでは除外
2010年4月18日の日曜日に訪れたが、おあばあちゃんの原宿状態。「観音様の命日」で混んでいると言われた。
観世音菩薩は18日に「死去???」されたのか?と思ってしまう。
山門。前の交差点は岐阜県道40号線と県道251号線。
桜が美しい参道。門前町になっている。
仁王門。なかなか立派な建物。
放生池。
三十三度石。江戸時代初期から昭和30年代前半まで,この西国三十三所を廻った民間の廻国修行者の存在が確認できる。行者は,サンドサン,オセタハン,セタブッサンなどと呼ばれ,各々オセタ(御背板,もしくは御背駄)と呼ばれる笈を背負って廻国をした。オセタはセタ元,あるいは本山などといわれる寺院が管理しており,京都では廻国修行を志す者は,こうした寺院に願い出てオセタを借り出し,西国三十三所を三十三回廻ることで満願となった。
(京都市情報館:http://www.city.kyoto.lg.jp/bunshi/page/0000005509.html)
地蔵院
経堂
英霊堂
三十三所堂
観音像
元三大師堂
客殿
本堂
本堂の戒壇巡り:階段を下り、真っ暗闇の中を右側の壁を頼りに時計回りにまわる。高さの検討がつかず普通に立って歩けるのかわからないので、禁じ手のフラッシュ撮影をして確認してしまった。充分な高さと幅がある事がわかる。
手前は子安堂。戌(いぬ)の日だったので参拝者多数。
右は満願を果たした巡礼者が着物を脱いで納める笈摺(オイヅル)堂。
本堂へ上がる階段両側の柱に付いている精進落としをする鯉。
満願堂
奥の院への道。
奥の院。
「もと北領に有りしに正中(1324-1325年、ほんと?)の頃本堂裏に移し現在に至る 当村出身大口あきを氏堂宇建立を発願三十有余の星霜を経て数十の同信を集め伽藍を建立し私有せる土地を共に当山に奉納此処に奥之院を移し安置す」。
滝の動画
参道にある八王子神社。
参道の消火栓とホース格納庫。