三尾神社、圓満院門跡
2011年1月-2012年1月
三尾神社
三尾神社と言えば兎。正面から見た「真向きの兎」が社紋だが、それにこだわらず色々なうさぎがいる。2011年は卯年だったので、正月はかなりの賑わいだった。
主祭神のイザナギ(伊邪那岐、伊弉諾)で、御由諸には伊弉諾尊がこの地に降臨され長等山の地主神として鎮座された
、常に赤・白・黒の三帯を着しその形が三つ尾をひくのに似ているところから三尾明神と申し上げる
と書いてある。三帯は三色の神様になり、その内の赤尾神が卯年の卯月卯日卯の刻に現れたとか。
明治以前は*三尾明神影向石がある琴尾谷にあったのだろう。
本殿三間社流造形式で、応永33年(1426)に園城寺の鎮守社として建立され、明治10年に現在地に移築された。
…妻飾りは豕扠首組(いのこさすぐみ)の伝統的な形式を踏襲し、正面に前室がなく、組物に舟肘木(ふなひじき)を用いるなど装飾が少ない簡素な本殿である。しかし、良質の材料を用い、建物を構成する各部材が木太く、全体に均整のとれた堂々とした建築である。 園城寺には、三尾神社本殿と同時期に建立された三間社流造本殿として、国宝の*新羅善神堂(室町時代中期1393~1466)がある。両者はともに足利氏の園城寺造営事業において建築された園城寺の鎮守社であり、意匠や技法に類似した点が多く見られる。 園城寺三院のうち、北院の鎮守社である新羅善神堂(しんらぜんしんどう)に対し、南院の鎮守社の遺構として、同じく室町時代中期に建立された三尾神社本殿は、建築的な質も高く、歴史的にも貴重な本殿である。
(滋賀県教育委員会:http://www.pref.shiga.jp/edu/katei/bunkazai/bunkazaisenshu/20091105kenshitei/miojinjya/index.html)
圓満院門跡
国の重要文化財「宸殿」や、名勝・史跡指定の庭園などが大津地裁で競売にかけられ
…約10億6700万円で落札された。
(京都新聞2009年8月)と問題のあった寺。戦後、単立寺院となり園城寺とは切れている。
宸殿は後水尾天皇の御所から移築したというもので、優雅な国の重文。
『古事伝』六-六「石田殿の事」より;石田殿は泰憲民部卿近江の任の時、勝地を選び構へ造るの別荘なり。而るに宇治殿仰せに云わく「子息の小僧、円城に在り、然るべくは坊舎の一つ求め出すべし」と云々。之に依て石田の別業を以って覚円僧正に奉るの後、園城寺平等院の領と為ると云々。
(『新注古事伝』笠間書院 2010)
という話が載っている。藤原泰憲が建てた石田の別荘の所在地は明らかではないが、ここが園城寺平等院、後の圓満院のものとなったという事のようだ。園城寺平等院は宇治の平等院へ号を譲り圓満院となった。