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奈良の野神さん

今里杵築神社蛇巻

橿原市五井町の野神

今井区の小綱では、六月四日(昔は旧五月四日)に、氏神の当屋によりノ神さんの祭が行なわれる。当屋の家に、前年当屋・明年当屋が寄り、三人で藁十二束をもってジャを一つづくり、夕方になるとジャを梯子にのせ、牛・鍬・鋤などの絵を白紙に書いた絵馬(昔は木で農具の模型をつくった)・洗米・御神酒を盆にのせ、田行きの服装でほおかむりをして、ノ神塚へ参る。途中、あんつけ餅五個を串に刺したのを一本ずつ子供に与え、往復はいずれも子供と泥まみれになって暴れる。ここでは、昔蛇が出て田を荒らしたので、百姓が神にまつるから荒らさないでくれとたのんだので、ノ神祭をするのだといい、また湿疹が出ると、団子を持ってノ神さんに参るとなおると伝えられている。また五井でも同じような伝説をもち、ノ神さんの榎の木に、昔川上から大蛇がきて、田畑を荒らしたので、百姓がジャグミ(蛇組み)をして防いだが、ある年それを怠ると恐ろしい不作に見舞われたと伝えている。*1

橿原市小綱町しょうこちょうの野神

小綱町の野神

ノグチさんとも呼ばれているとか*2

橿原市地黄町の人麿神社と野神さん

桜池北岸には、祠や石碑が並んでいる。

桜池
桜池

観音堂:中には石仏の他に小さな厨子に納められた観音立像。
桜池

 
桜池

玉津嶋神社
桜池

庚申塚
桜池

 
桜池

桜池

寺院が存在した歴史を感じさせるが調べがつかない。
地黄町という町名からは八味地黄丸を思い出してしまうが、サオヒメ(佐保姫)という原料となる植物を栽培していたらしい。

地黄町の人麿神社

地黄町の人麿神社

例年5月4日に、人麿呂神社(橿原市地黄町)の境内で子どもたちによる「すすつけ(すみつけ)」が行われます古くはノガミさん、ノグッツアンと言われていましたが、子どもたちが互いにすすつけをおこなう行事が有名になると、「すすつけ祭」と言われるようになりました。(最近では、「すすつけ祭」が一般的ですが、「すみつけ祭」とも呼ばれることもあります。)野神祭の1つで、地域の人びとの無病息災や豊作を祈り、裸の村の子どもたちが人麿神社境内を駆け回り、真っ黒になるまで墨の付け合いをします。(http://www.city.kashihara.nara.jp/kankou/own_kankou/saijiki/5_susutsukematsuri.htm)

地黄町の野神さん

田の中の野神さん。典型的な位置に祀られている。溜池にも近い。

「すみつけ祭」は休止中かもしれないが、
地黄町の野神

野神祭は続けられているようだ。
地黄町の野神

天秤棒の左右に牛馬を使って田起こししている絵が描かれている
地黄町の野神

これは馬耕の様子か?
地黄町の野神

こちらは牛?
地黄町の野神

平成三十年五月四日という日付が書いてある。
地黄町の野神

ジャ(蛇巻)を作っていたはずだが名残りはあるようなないような……

橿原市上品寺町の野神さん

元は、ムラの北端の北口の池にノガミ塚があったが、道路建設 (中和幹線道路 )のための新池 (集会所建設のため近年埋立てられた )の南のヨノミの木でまつっている*3

水路を護る石仏だけかと思いきや、
上品寺町の野神

右の建物が集会所で、水路との間に広場がある。
上品寺町の野神

大和盆地北と中部にはノガミ祭が多く残されており、中和では、野神祭の1つとして「ジャまつり」と呼ぶものがあります。これらの特色として、大きなジャ(蛇)をつくり、木に巻きつけたり吊ったりすることが挙げられます。毎年6月5日に行われるシャカシャカ祭(橿原市上品寺町)は、奈良県で一番有名な「ノガミ(農神)祭」です。(古くは旧暦の5月5日に行われていました。)麦わら(最近では稲わらを使用します。)で6~7メートルほどのジャ(蛇)をつくり、ヨシの葉に包まれた大きなチマキ(お供え)を先頭が持ち運び、このあとにはっぴ姿の子どもたちが、わらでできたジャ(蛇)を担いで町中を練り歩きます。途中、町の北と南でジャ(蛇)に水を飲ませる所作をします。最後に神木であるヨノミ(榎)の木にジャ(蛇)を巻きつけ、チマキ、スルメ、お神酒などを供えて1年の豊作や治水を祈ります。(http://www.city.kashihara.nara.jp/kankou/own_kankou/saijiki/6_shakashakamatsuri.html)

参考資料
  1. *01 『橿原市史』橿原市史編集委員会/編 橿原市役所 1962 581~583頁
  2. *02 『奈良県史 第12巻 民俗(下)ー大和の伝承文化』奈良県史編集委員会/編 名著出版 1988 121頁
  3. *03 『奈良県史 第12巻 民俗(下)ー大和の伝承文化』奈良県史編集委員会/編 名著出版 1988 120頁

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