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河合村道路元標


河合町

河合町


河合町

河合村道路元標がある川合市場の北端から東の廣瀬大社へ向かって歩く。
河合町は律令制下では広瀬郡の一部。『日本書紀』敏達天皇の「起殯宮於廣瀬」などと出てくる「廣瀬」がここらの事だろうか?
近世では大和郡山藩領。


廣瀬大社

廣瀬大社


廣瀬大社

大和川と曽我川の合流点の南に位置する。大和川はそのすぐ上流で飛鳥川と、そのまた少し上流で寺川、その少し上流で佐保川と合流している。少し川下では冨雄川と合流。左の説明のように川合浜という船着き場があったが、亀の瀬よりも上流にある船着き場の中でも最重要拠点だったのではないだろうか。しかし、多くの河川の合流地点という事で、このあたりは水害の頻度も高かった。廣瀬大社は水害を防ぐ神として祀られたのが起源だろう。『日本書紀』巻第二十九 天武天皇四年四月癸末(10日)「遣小紫美濃王。小錦下佐伯連広足、祠風神于竜田立野。遣小錦中間人連大蓋。大山中曾禰連韓犬、祭大忌神於広瀬河曲。」の"祭大忌神於広瀬河曲"と廣瀬大社に大忌神を祀った記載がある。台風シーズンではないが、竜田の立野神社に風神を祀り、広瀬河曲で大忌神を祀ったのはかなり風雨が強く荒れた天候で被害が出たのだろうか?大忌神についての解釈は色々あるが、治水の神の要素があったと考えてよいのでは。


廣瀬大社

廣瀬大社


この神社で有名なのが2月11日に行われる「砂かけ祭り」。豊作を祈る予祝行事という時期だが、本来は『日本書紀』に記述されている"祭広瀬"から田植時の旧暦四月と刈取り前の七月に行われていたことがわかる。



天武天皇五年 (876年)四月辛丑 戊戌朔辛丑。祭竜田風神。広瀬大忌神。
天武天皇五年 (876年)七月壬午 祭竜田風神。広瀬大忌神。
天武天皇六年 (877年)七月癸亥 辛酉朔癸亥。祭竜田風神。広瀬大忌神。
天武天皇八年 (879年)四月己未 祭広瀬・竜田神。
天武天皇八年 (879年)七月壬辰 祭広瀬・竜田神。
天武天皇九年 (680年)四月甲寅 乙巳朔甲寅。祭広瀬・竜田神。
天武天皇九年 (680年)七月辛巳 祭広瀬・竜田神。
天武天皇十年 (681年)四月庚子 己亥朔庚子、祭広瀬・竜田神。
天武天皇十年 (681年)七月丁丑 祭広瀬・竜田神。
天武天皇十一年(682年)四月辛未 癸亥朔辛未、祭広瀬・竜田神。
天武天皇十一年(682年)七月壬寅 祭広瀬・竜田神。
天武天皇十二年(683年)四月戊寅 祭広瀬・竜田神。
天武天皇十二年(683年)七月乙巳 祭広瀬・竜田神。
天武天皇十三年(68四年)四月甲子 祭広瀬大忌神。竜田風神。
天武天皇十三年(68四年)七月戊午 祭広瀬・竜田神。
天武天皇十四年(685年)四月丁亥 祭広瀬・竜田神。
天武天皇十四年(685年)七月乙丑 乙巳朔乙丑。祭広瀬・竜田神。
朱鳥元年   (686年)七月甲寅 祭広瀬・竜田神。
持統四年   (690年)四月己酉 未朔己酉。遣使祭広瀬大忌神与竜田風神。
持統四年   (690年)七月癸巳 遣使者、祭広瀬大忌神与竜田風神。
持統五年   (691年)四月辛亥 遣使者、祭広瀬大忌神与竜田風神。
持統五年   (691年)七月甲申 遣使者、祭広瀬大忌神与竜田風神。
持統六年   (692年)四月甲寅 遣使者、祀広瀬大忌神。与竜田風神。
持統六年   (692年)七月甲辰 遣使者、祀広瀬与竜田。
持統七年   (693年)四月丙子 庚申朔丙子。遣大夫・謁者。詣諸社祈雨。又遣使者、祀広瀬大忌神与竜田風神。
持統七年   (693年)七月己亥 遣使者、祀広瀬大忌神与竜田風神。
持統八年   (69四年)四月丙寅 遣使者、祀広瀬大忌神与竜田風神。
持統八年   (69四年)七月丁酉 遣使者、祀広瀬大忌神与竜田風神。
持統九年   (695年)四月丙戌 遣使者、祀広瀬大忌神与竜田風神。
持統九年   (695年)七月戊辰 遣使者、祀広瀬大忌神与竜田風神。
持統十年   (696年)四月辛巳 遣使者、祀広瀬大忌神。与竜田風神。
持統十年   (696年)七月戊申 遣使者、祀広瀬大忌神与竜田風神。
持統十一年  (697年)四月己卯 遣使者、祀広瀬与竜田。
持統十一年  (697年)七月丙午 遣使者、祀広瀬与竜田。


http://j-texts.com/jodai/shokiall.html の文字列検索による。(2005/05/01)


大忌祭は、現在は8月21日に催行されている。


廣瀬大社

廣瀬大社


廣瀬大社

廣瀬大社


廣瀬大社

水足明神は、ここに棲む龍神の託宣により廣瀬の神が祀られる様になりという事で、廣瀬大社の主祭神「若宇加能売命わかうかのめのみこ」という農業神を招いた地主神という説明になっている。合流点に相応しく、この辺りは旱・渇水よりも増水による水害が悩みだったという事だろう。


廣瀬大社

廣瀬大社


安堵町環境美化センター

安堵町環境美化センター
水利施設ではなく、ごみ焼却場。


今里の浜

今里の浜

今里の浜


今里浜は大和川支流の寺川に設けられた船着き場。
田原本が問屋町として栄えたのも、この物流の拠点があったからこそと言えよう。

今里の浜

今里の浜


現在は護岸工事が施された川で、歴史を知って思いを馳せるしかない。

今里の浜

今里の浜


今里の集落

今里の集落は立派な家が目立つ。


杵築神社の蛇巻

今里杵築神社の蛇巻

今里杵築神社の蛇巻


奈良盆地の北部や西部には、ノガミ信仰として括られる行事が各地に存在する(した)。「大和の野神行事」として国の「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」に指定され、奈良県教育委員会文化財保存課編『大和の野神行事 (奈良県文化財調査報告 第46集、第49集)奈良県教育委員会, 1985,1986』が編纂された。近江の湖北湖東・湖南に見られる野神行事との類縁性が感じられるが、時期や形態が異なる。

今里杵築神社の蛇巻

今里杵築神社の蛇巻