東大寺(1)
南大門
鎌倉時代再建の南大門は
他には兵庫県小野市の浄土寺の浄土堂も同じ様式との事。
どちらも、治承四年の南都焼討ちの後の再建にあたった「入宋三度」の重源が関与している。
南大門の仁王像。
運慶が総監督で快慶や湛慶も参加し2ヶ月あまりで完成させたという。
一般的には口を開けた阿形は門の外から見て右側なのだけど、ここでは左にある。
東南院。
現在は東大寺本坊。
勧学院。真言院の中にある。
南大門と中門の間の鏡池。
金堂(大仏殿)
大仏殿を北に南側に中門があり、これらを回廊が結ぶ。
中門の多聞天と持国天。
金堂(大仏殿)は1709年に落慶供養を行った建物。
金銅八角燈籠
向かって左の脇侍の虚空蔵菩薩。
向かって右の脇侍の如意輪観音菩薩。
光背の化仏
広目天像
創建当時の想像模型。
現在の大仏殿は正面から見て柱が9本、柱間が8つある八間の建物で、なんとなく安定感が乏しい。
鎌倉時代再建の建物は十一間なので、ずっとゆったりとした安定感がある。
大仏殿から北門を見る。当初は北門まで回廊が巡っていた。
北門の北には講堂があった。
多聞天像。
中門の二像と合わせて四天王が揃うわけではないようだ。
病気を患っている所と同じ所を撫でると治るそうです。
回廊は単廊。
東塔跡
周囲に歩廊を巡らした七重塔だった。
鐘楼
低音で長く響く事で有名。臨済宗開祖の栄西が、重源のあと、二代目大勧進だった時に再建したもの。
鐘楼を通して、大仏殿とはるか生駒山方面。鐘楼は大仏殿よりかなり高い場所にある事がわかる。
大仏はこの高低差を利用して造られた。
行基堂
行基は東大寺建立の際、諸国を勧進して回り寄付金を集めた。
俊乗堂
重源は俊乗坊重源と言われるように、俊乗坊に住んでいたのだろうが、この俊乗堂は説明に書いてあるように江戸時代の建物。
念仏堂
法華堂(羂索院、検索堂、三月堂)
本尊の不空羂索観音立像、日光・月光菩薩立像など美術的優品揃いのお堂。
元々は左側本堂と右側礼堂は別の建物だったものを、鎌倉時代に礼堂を立て直し、間に屋根を作って一つの建物にしてしまった。