原道を歩いて多賀へ
このページの内容は、主に2013年3月23日に多賀町立文化財センター主催で行われた「多賀道を歩こう~原道~」に参加した時のものです。
- 多賀大社への参拝の道は幾つかある。
- 御代参街道
東海道土山宿と中山道愛知川宿近くの小幡/新堂/愛知川を結ぶ約36kmの街道。江戸時代、京都仙洞御所の皇族が毎年、正月、五月、九月に伊勢神宮と多賀神社へ名代(御参代)を派遣する習わしがあり、京都から伊勢へ参拝し、その後土山宿からこの道を通って多賀神社へ参拝されたことから、御代参街道と呼ばれるようになった。- 御代参街道
- 多賀道(高宮道)
高宮宿からの多賀道- 多賀道(高宮道)
- 大堀道
彦根市大堀町、多賀町土田を通る道があったらしい。- 大堀道
- その他(東から)
鞍掛越(国道306号)、五僧越(岐阜県道・滋賀県道139号上石津多賀線)- その他(東から)
- その他(西から)
国道307号、滋賀県道13号・甲良町役場、滋賀県道216号・国道307号- その他(西から)
正法寺町交差点からの多賀道
中山道。
彦根市原町の中山道と中濠東西通り(306号)の交差点が正法寺町交差点で、そのすぐ北東の常夜灯から原道は始まる。
常夜灯の下には色々立っている。
上の写真の「廿八丁」の丁石は移設されたものだろう。
「金毘羅大権現」の石柱は金毘羅宮・慈眼寺。
(彦根市野田山町291)
「慶光院」は正法寺慶光院。(彦根市正法寺町167)
常夜灯は 慶応三年(1867年)建立。大政奉還の年。
移設されたのか、向きが左90度ずれているとか。
二十九丁
道路拡張工事の時にまとめてここに置かれたのか?
二十三丁
二十二丁
二十丁
たらちね地蔵
元は「はと道」だったという道と重なる。
大きな石は、古墳の蓋だったいう言い伝えが有るとか。
十六丁
平和堂多賀流通センター予定地での発掘調査現場
十四丁