教王護国寺(2)
五重塔
寛永二十一年(1644年)の再建。
初重(一層目)は二軒の平行垂木。
四つの軒端には、隅木を背負う形で邪鬼がいる。
以下、西南、東南、北東、北西の邪鬼たち。
金堂
重層入母屋造で、更に正面中央屋根の切り上げがある重厚な建築。豊臣秀頼により再建された。
薬師三尊像は康正の作という。本尊薬師如来坐像は光背に、善名称吉祥王如来、宝月智厳光音自在王如来、金色宝光妙行成就王如来、無憂最勝吉祥王如来、法海雷音如来、法海勝慧遊戯神通如来、薬師琉璃光如来の七仏薬師を配し、台座のまわりには十二神将が立ち並んでいる。
講堂
中は東密を最も感じさせる立体曼荼羅を構成する仏像が配されている。
その仏像たちから言っても東寺の中心といえる建物で重要文化財だが、外見はかなり簡素な感じがする。文明十八年(1486年)の火災で焼失後、”ここだけは”という感じですぐに再建されされた分、十分な資金や設計・施工時間がとれなかったのかもしれない。
食堂
光厳上皇が小子坊で政務と執っていた時、足利尊氏はここに居住していたと小子坊の説明には書いてあった。
宝蔵
元々は二棟あったが、平安時代の火災で焼失、鎌倉時代の再建と考えられている。木材は焼け残ったものも使われているらしい。
不二桜
平成十八年(2006年)の弘法大師(唐からの)帰朝1200年記念に東寺信徒総代から寄贈された。樹齢120年という。
夜叉堂
柳谷観音
食堂の左にある囲いの中。
柳谷観音(楊谷寺)は、たびたび訪れたとして空海を第二世としている。(開山は音羽山清水寺を開山したという延鎮)
北大門
ここから八条通の北総門までは、塔頭地域となる。
太元堂
恵運が唐から請来して大元帥明王を祀る。
大元帥法は宮中で敵国調伏国家安泰の大法として修された。
弁天堂
善女龍王
空海が神泉苑で雨乞いの修法をした時に現れた龍神を祀っている。
観智院
唐末期に長安の青龍寺で灌頂を受けた恵運が請来した五大虚空蔵菩薩像がある。唐というより、もう宋風のさっぱり・すっきりした姿の像で、右から、獅子、馬、象、孔雀、迦楼羅の背中に蓮台を載せ、その上に様々なものを持った虚空蔵菩薩が結跏趺坐している。
恵運は山科の北端にある安祥寺を創建した。
五大の庭
宝菩提院
地蔵院
北総門
石上神社・波切不動
石上神社は真言宗の政所だった執行屋敷にあった社。執行は寺務を執り行う役職と考えてよいのだろうが、
波切不動は空海守護の明王とか。