率川 の名残り
源流は御蓋山あたりで、佐保川に合流し、佐保川は大和川となって大阪湾に注ぐ。菩提川は、奈良県奈良市を流れる佐保川中流部の支流です。従来から生活排水及び工場排水、合流式下水道等の汚水の流入により、水質の悪化が懸念され、平成20年度に環境省発表の全国1,871河川の水質ワースト1になりました。
(http://www.yamato-river.net/report_cate_top12.html)
平成20年度河川の水質ワースト1は大和川水系で、菩提川は汚染の主因となった支川の一つ。(その後、とりあえずワースト1は脱却した。)
率川は菩提川とも言われるようだが、全流域を両方の名称で呼んでいるのかはよくわからない。ただ、JRの線路までの石橋には「率川」「いさかは」としか彫られていないので、この間の通称は率川だったのだろう。
暗渠から猿沢の池の南側に現れた率川。一旦、西に流れる。東側の上流は大乗院庭園北側ー荒池ー浮見堂がある鷺池ー飛火野ー春日大社・御蓋山へと遡れる。
嶋嘉橋には「明和七年庚寅五月吉日」と彫ってるのが見える。裏には「施主嶋屋嘉兵衛」。1770年に椿井に住んでいた嶋屋嘉兵衛が作ったものでお伊勢参りの道の出発点となっていたそうだ。
舟形地蔵は(幕末の河川工事の時/率川の暗渠化工事でに掘り出された?)埋もれていた石仏を並べたもの。
流れは嶋嘉橋の東で猿沢池に沿うように一旦、北上する。
次にこの下で西に曲がり、
暗渠化された「さるさわ遊歩道」の下を流れる。
絵屋橋
もちいどのセンター街を横切る。
上流(東)を振り返ると、こんな感じ。
この先で南(左)に曲がる。
この祠は古梅園の北側あたりにあり、率川沿いではない。
「率川橋」脇の地蔵堂
「率川橋」で再び西へ流れる。
「やすらぎの道」に出る。
この道路を整備した頃は、まだ安らげたのだろうか?
率川はこの道の下を南(左)に下る。
横断歩道の右斜め前に率川神社。
率川 神社
率川神社は率川よりやや北にあり、直接接してはいない。
開化天皇の春日率川宮の場所とも言われるが…。
はね
いざ率川わの 音さやけき(万葉集1112)
祭神の事代主は大国主の子。大神神社では、大国主の和魂が大物主としている。国譲りに際して大国主が事代主に相談に行ったとき、釣りをしていたという記紀の話から恵比寿様と一緒くたにされた。阿波から勧請されたらしい。
蛙石
正面よりも横から見た方が、カエルの姿らしかった。
「やすらぎの道」を傳香寺の南で西へ曲がる。
傳香寺は毎年着せ替えの法衣を纏った童顔の春日地蔵が魅力的。
「長幸橋」
「柳橋」
中央が暗渠化された率川。ここを暗渠化した理由がわからないが、児童公園などになっている。
この先は県道754号に出る。