北野天満宮
影向松
菅原道真が天台座主の尊意から受け取った仏舎利が大宰府から飛んできてこの枝にかかり、それ以来初雪の頃ご祭神がこの松に降りてきて和歌を詠むという、なんとも優雅なお話がある松。
『北野天神縁起絵巻』にある話として、尊意は道真の怨霊による天変地異を鎮めるために勅命を受けて宮中へ向かった。途中、鴨川の水位が上がり氾濫したが、尊意が祈ると、水の流れが二つに分かれて石が現れ、その上に道真が立っていた。道真の霊はその石から雲の上に飛び去り雷雨がやんだという
北野東向観音寺
伴氏廟
菅原道真の母の御廟だという。元々は北野天満宮の参道西側にある伴氏社にあったそうだ。
七本松一条に土蜘蛛の塚があり、そこから出てきた石燈籠の火袋だという。謡曲史跡保存会が立てた案内板だから能の「土蜘蛛」と関連付けているのだろう。そうすると土蜘蛛はこの塚から僧に化けて頼光邸にやってきて、見破られた後に葛城山に逃げたという事か。
行者堂
延命地蔵
岩雲弁財天
白衣観音堂
右近の馬場
能「右近」のシテは前場で「北野の桜葉の神」と名乗って「花に隠れ失せにけり」なのだが、この桜庭の神は、本殿の背後の長屋に祀られている。
梅園
楼門
向かって左に掛かっているのは、菅公御歌 心だに誠の道にかなひなばいのらずとても神やまもらむ
。
絵馬堂の絵馬
老松社は上七軒にある菓匠老松の祖神とされている。
老松社は境内に他に2ヶ所祀られている。
この大黒さんの「?」に石を詰めて落ちなければ(その石を財布に入れておくと)お金に不自由しないという。
しかし、「?」は鼻か?えくぼか?口か(左右に分かれているのは何故?)?
私は京都新聞を信用して口だと思っていたのだけど…自信がなくなってきた。
マリア灯篭。織部好み灯篭。
古田織部という武将は別にキリシタン大名ではなかったようだが…
中門(三光門)
勉強もいいけど、この門は頭でっかちでは?
三光の内、太陽と月。天皇が北野天満宮を遥拝したら、三光門の真上に北極星が瞬いていたので星は刻まれていないのという話があるのだが、門を造った後に遥拝したとして、その時点で既に星は無いまま完成していたわけで、これはおかしいと突っ込みたくなる。