安居
神社
国道25号線を挟んだ南側の一心寺と同様に上町台地の西斜面に立地している。
真田幸村とは真田信繁に後世に付けられた名。1615年の大阪夏の陣の時にここで戦死した。
天満宮
菅原道真が大宰府に左遷されたとき、波が荒いのでここで風待ちしたという伝承が上の由緒略記に書いてある。
少なくとも、このすぐ西が海だったことは間違いない。
金山彦神・金山姫神・淡島神
淡路大神
稲荷神社
このあたりには中井シゲノという先生(オダイさん)が住んだ玉姫教会があった。
堀一郎著『日本のシャーマニズム』(講談社現代新書 1971)によると、「天王寺村に聖徳太子の流れを伝えるとも、小野
かんしずめの井
ひらがなで書かれると意味がわかりにくいが、左下の天神坂の説明に書いてあるように「癇静め」に効能がある井戸のようだ。
「安居の森」は文楽(人形浄瑠璃)「夏祭浪花鑑」にも出てくる。悪役の伝八が切り株の上に立って首つり指南をするところを蹴飛ばされて首をつって死んでしまう場所。
上町台地西斜面ということがよくわかる坂道や石段。
西の松屋町筋からの参道入り口の鳥居は「安居神社」と書かれた大きな笠木が目を引く。
落語の『天神山』に一心寺の向かいの安居神社も登場する。
ヘンチキの源兵衛が一心寺で「墓見」をして持ち帰った髑髏(舎利頭)の主「小糸」と(婚姻の)盃事をしたと聞いた隣人の安兵衛は、自分もと一心寺へ行くが頭がい骨は見つからない。そこで隣の天神山にある安井の天神へ行って飲み始める。子供がうるさくて裏手へまわると、崖の穴で狐を獲ろうとしゃがんでいる角右衛門と出会う。狐を捕まえた角右衛門は(高津の)黒焼屋にでも売ると言うので安兵衛が買い取って助けてやると、狐は女に姿を変え安兵衛の「かかあ」になり、子供も生まれる。子供が三歳の時に正体がバレてしまい、「恋しくば 尋ね来てみよ 南なる 天神山の 森の中まで」の歌を残して去ってゆく。
西からの参道