四天王寺
弘法大師が日想観を修したとされる極楽門(西門)は上町台地の西の海岸近くにあり、彼岸の中日になる春分の日と秋分の日には真西の海上に沈む太陽をこの門と鳥居の先に見ることが出来たのだろう。
右下の写真は春分の日の午前9時半頃に撮影したものだが、道路に沿って真西に鳥居の影がある。日没時刻になれば、この真西の国道25号線の方に太陽が沈むのだろう。
鳥居の扁額には「釈迦如来 転法輪処 当極楽土 東門中心」と書かれている。
つまり、四天王寺の西門は西にある極楽から見ると東門だということ。
ここは能の『弱法師』の舞台。シテの俊徳丸=弱法師が「げにげに日想観の時節なるべし。盲目なればそなたとばかり。心あてなる日に向ひて。東門を拝み南無阿弥陀仏。」というと、父の高安通俊は「何東門とはいはれなや。こゝは西門石の鳥居よ。」と訳知らずな事を言って、息子に「あら愚や天王寺の。西門を出でて極楽の。東門に向ふは僻事か。」と教えられる。
南大門
四天王寺は山号を荒陵山といい、和宗という宗派の総本山である単立寺院。
中門
南から南大門、中門ー塔ー金堂ー講堂と一直線上に並び、中門から講堂を回廊で囲む四天王寺式の伽藍配置。
五重塔からの眺め
北
西
東
南
聖霊会の舞楽法要が行われる六時堂前の亀の池中央にある石舞台
北鐘堂(黄鐘楼)
彼岸なので極楽にまで響く鐘を撞こうと混んでいる。
亀井堂
堂内西側の「亀井の間」の一段低い池では金堂の下からの湧水?が流れていて彼岸に回向(追善)のために経木を流す。
四天王寺のwebサイトには推古元年(593)創建
(http://www.shitennoji.or.jp/map/gyuozon.html)と書いてあった。四天王寺が建立される時、建築資材である石や材木を運搬した牛が、伽藍が完成するや否や化して石となったと伝えられ
は、大津の牛塔を思い出させる。大津の方がずっと後の時代の話ではあるが。
太子殿(聖霊院)、奥に八角の太子奥殿。
本坊西通用門
方丈と共に重要文化財の四脚門。
本坊は戦災から免れているので古い建築物が残っている。
五智光院
八角亭。明治三十六年(1903年)に天王寺公園などで開催された第五回内国勧業博覧会に際して建てられたものを移築した。
湯屋方丈
宝物館の前
南鐘堂(鯨鐘楼)
阿弥陀堂